故リンゼイ・アン・ホーカーさんは、今回取り上げる書籍『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』の著者、市橋達也受刑者の手によって2007年3月にお亡くなりになりました。
Who are you? ~どんな内容?
52冊目はこちら。『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(幻冬舎、2011年1月26日発売)です。
著者は市橋達也氏。1979年生まれ。
”僕のしたことは決して許されない。彼女の人生は彼女のものだった”
そう思った時、怖くなって僕は逃げ出した。
引用:引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p5)
逃亡当時は所持金が4,5万円。これから暖かくなる季節ではあったが、野宿を繰り返し、風呂に入ったのは警察から逃げて二か月ほど経った、沖縄に入ってから。
二〇〇七年三月二六日に警察から逃げて、二〇〇九年十一月十日に逮捕されるまでの二年七ヵ月の間、僕はどこにいて、どのような生活をし、何を考えてきたか。
自分が犯した罪の懺悔のひとつとして、それを記したい。
これによってどう批判されるかもわかっているつもりです。
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p5)

目次です
♢ ♤ ♡ ♧
はじめに
第一章 裸足 2007年3月26日から4月頃
第二章 北へ 2007年4月頃
第三章 お遍路 2007年4月中旬から5月中旬
第四章 島 2007年5月中旬から6月頃
第五章 働く 2007年6月頃から9月頃
第六章 飯場 2007年9月頃から2008年8月中旬
第七章 貯金 2008年8月中旬から2009年10月後半
第八章 病院 2009年10月後半から11月頃
終章 逮捕 2009年11月
おわりに
2年7ヵ月、市橋受刑者はどのような生活を送っていたのか。本人による記録です。

逃亡は日本全国に渡りました
NISHINARI ~飯場にて

西成の飯場にいたのが第六章ってわけね
僕を含めて何人かが乗ったバンが着いた場所は、神戸にあるAという飯場だった。飯場の寮では数十人が寝泊まりしていた。僕は道具も何もないので、作業服と安全靴を借りた。名前・住所・連絡先・経験年数を記入する書類には「神奈川出身、K、三十歳」と書いた。
引用:引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p146)
これだけで雇ってもらえた。

西成についてはこちら
しかし。
『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』では著者である國友公司氏が、西成の飯場で働いた時に、書類に個人情報を書いている場面があります。市橋受刑者が西成に潜伏していたことを機に、飯場でも身分証明書の提示が必須となり、誰でも働けるという状況ではなくなったらしい。
市橋受刑者が西成にいたのが2007年9月から。そして國友氏が取材したのが2018年。
『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』では賃金を前借りする方々が描かれていますが、市橋受刑者は酒も煙草も嗜みませんでした。

その結果お金をため…
現場ではよく笑うようにした。うそ笑いだった。そうすると仕事がうまくいった。
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p152)

処世術も学んだというわけです
『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』での南海ホテルは本書には出てきません。しかし、寝泊まりする飯場の寮で、市橋受刑者は訳ありな住人と何とか暮らしていきます。
そして市橋受刑者は、最初の本格的滞在地であった沖縄のオーハ島と西成を行き来します。
例えば、パトカーが止まっている、ガードマンが警察に見えた、飯場で見たことのないような黒いスーツの人がいる。すると市橋受刑者は必ずその場を離れます。そして沖縄のオーハ島に行き自給自足の生活をする。そしてお金が無くなると西成に帰る。
C社の飯場は住み心地がよかったので、ずっとそこで働いて、歳をとったら駐車スペースの椅子に座って、小さなギターを練習している自分の姿を勝手に想像していた。
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p106)

何とも言えないこのくだり
Stance ~この本を取り上げるにあたって
私には娘が二人います。例えば、娘たちが「海外で日本語を教えたい」と言ってきたら、内心心配しつつも賛成すると思います。

シリアやアフガニスタンでもアータ?

危険レベルの高い国は反対しますけどね

冒頭のリンゼイさんの父親であるウィリアムさんは「リンゼイは日本を愛していた」とおっしゃってます。そして2009年当時のNewsweek日本版でも…
「教師になるために日本へ行った娘を誇らしく思っていた……誰でも助けようとする優しい子でした。だから、こんなことになったのです」(中略)
「娘は日本を愛していた。日本人と出会うことが好きで、日本は信頼と敬意に基づいた素晴らしい国だと考えていた」とウィリアムは4月1日に声明を出した。
引用:英会話講師を殺した安全な国|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

お父様も応援していたわけねアータ
私感になりますが、英国に住まれているご両親から見て、日本は比較的安全な国と思われていたのではないかなと思います。

え日本って世界で一番治安がいいんじゃないの?
実は…
日本のスコアは1.525でこの指数の開始以来最も悪化し、順位も2023年の13位から4つ下げて17位となった。「社会の安全・安心」「進行中の国内・国際紛争」「軍事化」の3つの領域でそれぞれスコアが悪化したが、特に「軍事化」の領域内のすべての指標が悪化した。
引用:2024年世界平和度指数、アイスランドが首位堅持、日本は17位に後退。紛争の増加とともに平和度悪化 | やまとごころ.jp


17位?ダサいわアータ

そういえば 最近散歩の時間が少ないような気がする
それはまた別の問題

「軍事化」の指標が悪化とありますが、「社会の安全・安心」もまたスコアを悪くしています。本件は18年以上前に発生していますが、当時よりもっと日本の治安は良くない状況だと思います。

東アジア軍事関連だけのせいにしてはいけない
まず、日本は安全な国という認識を「一時期はそう言われていたけれど、自分たちがそう思っているほどそうではない。安全を過信しない方がいい」というものに、子を持つ親世代は特にアップデートしていった方がいいと思います。
女性は男性をもっと警戒したほうがいい。老人は親切をもっと不審に思っていい。性善説ありきは一度見直した方がいい。当たり前を疑った方がいい。
こちらは主に仕事に関する取り組み方を扱っていますが「疑う大切さ」を教えてくれます。
ちなみに世界の幸福度ランキングは62位。


昔は良かったなんて言い始めると老害認定されるわよアータ

私は幸せだけどね散歩の時間が長ければ
遠く離れた祖国から、興味を抱いてそして夢を持って日本にきて、志半ばで生涯を終えた女性がいた。
この本を取り上げることへの葛藤はありました。
しかしこの55秒書評が、何かを疑うことの大切さを改めて考える。そんなきっかけになればいい。
そんな風にも思いました。
For whom ~誰のための本?
<記>
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p238)
本書の出版で印税を得ることがあっても、僕にそれを受け取る気持ちはありません。リンゼイさんの御家族へ。それができなければ、公益のために使っていただければ幸いです。
この<記>の個所は、おわりに、の後に書かれています。そしてこれは紛れもなく市橋受刑者の本心であると思います。でも、そのために本を書いたのか。

そしてこの本は誰のための本なのか
英国の遺族は「裁判の前に、こうした本を書くことが許されるのか。強い嫌悪感を抱いており、傷つけられた。私たちが求めているのは公正な処罰だけだ」と話した
2011年7月までに印税は1100万円となり、市橋は税引き後の912万円を遺族に渡したいとしたが、被害者の両親は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」として、1銭たりとも受け取らない立場を千葉地裁で明らかにした。手記には遺族が受け取らない場合は、印税を公益に代えるように記載されている。
引用:リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件 – Wikipedia
たとえばのお話です。どこかの懸賞小説に応募したとします。そうすると、時折、自費出版のお誘いを受けます。自費出版からでも売れれば、本格的にデビューできる。そもそも、出版社の方からの電話というだけで舞い上がるし、たとえ自腹を切っても自分の本を出版する、そんな現実に何か「夢がかなった」感を覚えてしまう。
でもそれは「アンタの文章に私たちはお金は出しません。なぜなら大した文章ではないからです」と言われているようなものなのです。
ようするに「勝負できる」文章にしか出版社は金を出さない。

いやでもね 夏目漱石の『こころ』も自費出版なんですよ!

えあの750万部売れている『こころ』もですか!?
サクラやってんのバレバレなんだよ


そんな経験をお持ちの方もいらっしゃると思います
それアンタだろ

接見はできないため、間接的な原稿のやりとりだったが、編集担当者は「(被告の)観察眼、感性の豊かさを感じた」と話している。
引用:リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件 – Wikipedia
手記を出版する、という企画が市橋受刑者からだったのか、出版社からだったのか分かりませんが、間違いなく「商売になる」という確信があって、これは書籍化された。
先に触れた通り、この試みはリンゼイさん御一家にとっては、新たな失望を抱かせてしまうものになりました。しかし2025年の今更ながら、私は読んでみたいと思いました。
結果。
余計な言い回しが無い。
読者サービス的な下心も無い。
記憶があいまいな箇所はそのまま。
ただ市橋受刑者の思いのみが綴られていく。
妙なとっかかりが無く、すぐに読めます。そうかあの時こんなこと考えて逃げていたのか、という読者の好奇心を満たしながら。なるほどな、倫理、道義的なものは抜きにして「これは売り物になるな」と思いました。
Repentance or… ~それは結局
昔、つき合っていた子に言われたことを思い出した。「みんなから好かれるにはどうしたらいいんだろう」って聞いたら、彼女はあきれ顔で「そんなことできないよ」って答えた。
それは事実なんだろうけど、それを聞いた時ひどく寂しい気がした。
そのことを思いだしたら、ああそうだ、僕は誰からも好かれることはできなかったけれど、誰からも憎まれることはできたんだと思った。そう思ったらなぜかほっとして涙が出てきて止まらなかった。
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p90)
市橋受刑者は自分に主軸を置き考えている。それはあとがきで、自らも認めています。
僕は許されないことをした。逃げる前も逃げた後も、僕は結局自分のことしか考えていなかった。
僕は事件を起こし、怖くなって卑怯にも逃げた。
逃げることで、もう一度リンゼイさんの御家族、僕の両親、たくさんの人たちを深く傷つけた。
本当に申しわけありませんでした。
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p90)
市橋受刑者の印象的な内省。
線路沿いを歩きながら、リンゼイさんが僕の部屋で言った”My life is for me.”という言葉がずっと頭の中を回っていた。
「私の人生は私のものだ」
僕はあの時、あなたが言ったその意味がわからなかった。
すみませんでした。すみませんでした。
そう繰り返しながら線路沿いを歩いていた。涙が出てきて止まらなかった。
引用:『逮捕されるまで 空白の2年7か月の記録』(p37)
この内省は逃亡から2ヵ月以内のもの。でも逃げた。逃げ続けた。自首もしなかった。ギターを弾いている自分を想像していた。
本を書いて本が読まれる。そして印税が発生する。自分が何かを書けば、ある程度読まれるだろう。リンゼイさん御一家に印税を。それは本心だと思います。一方で出来なければ公益へ。あとがきの段階でそのようにも書かれています。
市橋受刑者の、市橋受刑者による、市橋受刑者のための存在意義、その確認作業、その集大成。
それがこの本の正体なのだと思います。

そんなのみんなわかっているわよアータ

そ そうなの?
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