Controllable ~「人生の勝算」

後編です!
前編はこちら!
本書は映画「花束みたいな恋をした」における、会社の仕事が忙しいので、それまで好きだった本や漫画を読まなくなる、という設定を世界観としてしています。
菅田将暉氏が演じる山音麦と、有村架純氏が演じる八谷絹が主人公の切ないラブストーリーです。

ちょっと待ってアータ
ん?


麦ボーイが忙しくて本が読めなくなったのは分かったけど 絹ガールはどうなのアータ?
麦は営業マンとして夜遅くまで働く一方、絹は残業の少ない職場で自分の趣味を楽しんでいる。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p26)
自分は頭を下げて仕事をする。でも相手は趣味が生かせる仕事をしている。
麦「でもさ、それは生活するためのことだからね。全然大変じゃないよ。(苦笑しながら)好きなことが活かせるとか、そういうのは人生舐めてるって考えちゃう」
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p186) 坂元裕二『花束みたいな恋をした』

価値観がズレていく……
切ない

なんだ ただの焼きもちか
そんな簡単じゃないんだって

ふたりのすれ違いが決定的になるのは、絹が出張に行く麦に、芥川賞作家の滝口悠生の小説『茄子の輝き』を手渡すシーン。麦はそっけなく受け取り、出張先でも本を乱暴に扱うさまが映し出される。一見よくある若いカップルの心の距離を描いた物語だが、このストーリーの背後には、「労働と、読書は両立しない」という暗黙の前提が描かれている。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p26)
付き合いたての頃や、相手を想っている時であれば、本を一生懸命読んで感想を伝えるはず。何より、手渡してくれた相手に感謝の気持ちを持って、出張帰りにはお土産だけじゃなく、互いの共通の趣味にまつわる何かをお返しに渡したりするのではないでしょうか。

茄子がかわいそうねアータ

やっぱりきゅうりだよなあ
やめてくれもう

冒頭で言及した『花束みたいな恋をした』の主人公である麦は、労働の余暇に、「パズドラ」をして、書店で起業家の前田裕二が書いた自己啓発本『人生の勝算』を手にしていた。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p119)
小説が読めなくなった麦が手に取った本。それが「人生の勝算」。
人を好きになることは、コントローラブル。自分次第で、どうにでもなります。でも人に好かれるのは、自分の意志では本当にどうにもなりません。コントローラブルなことに手間をかけるのは、再現性の観点でも、ビジネスにおいて当然でしょう。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p210)前田裕二『人生の勝算』
実はここに「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」の重要なポイントが隠されていったのですが…
それはこの後の、NOISE! ~明治から2010年代まで の最後で解説していきます。
要するに麦は…

小説を読むより 前田裕二氏の本を読む方が自分のためになると思うようになったわけです
ならば。
あの日、あの時、明大前駅で。二人が、すでに社会人でも。

結局 同じような結論だったのかもしれません

バイバイカンチ
なわけねアータ
I like you! ~紹介する理由
働いていると本が読めなくなるー。
現代日本の労働様式に近くなった明治時代から、本を読むという行為は既にありました。つまり、働いていても人々は本を読んでいたわけです。
一体いつから人は働いていると本が読めなくなったのか。

散歩の途中で気になる匂いに出逢うと足が止まるもんな
何言ってんの?

ただ個人的な意見ですが…

働いていても 問題なく本を読んでいます

鼻につくわねアータ
働いていても「趣味?読書でしょそりゃ」という同志の皆さま。なんで本読めなくなるんだろうね、と他人事のような感覚でこの本を読むのも楽しいですよ!
なんていったって「第2回 書店員が選ぶノンフィクション大賞2024」受賞です。本を売るプロたちが、選んでいる本です。
働いているから本を読めなくなったのか、働いていても本が読めるようになるのか。そして本を読むということは何なのか。
著者の三宅香帆氏、書店員の皆さま、そして僭越ながら私も、恐らく気持ちは一つ。
本は面白い!だから働いていると本が読めなくなる理由を認識し、それに対処しながら、また読書を楽めるようになれば最高!
アンタはそこに加わらなくていいから

NOISE! ~明治から2010年代まで
本書は読書とその時代背景も的確にまとめて下さっています。これがまた面白い!ネタバレ防止対策として、重要なところは伏字にします。
それでは恋とマシンガンをぶっ放すために、それまでの時代を装填しましょう。
明治時代 環境に頼らず自分で修養!
「修養」とは「勤勉」や「努力」といった言葉。「西国立志編」という明治のベストセラーの翻訳者、中村正直氏が訳したもの。労働者階級の立身出世な本が流行。
大正時代 生活の貧しさと社会不安の中で
日露戦争後の増税、戦後恐慌等による社会不安の時代。その不安を救うもの。そんな宗教と社会主義の本が流行。修養から派生した「教養」(人格を押し上げるもの)が誕生。
昭和戦前・戦中 太平洋戦争前夜
金も暇もない労働者が増える。月額払い(サブスク)による「円本」(毎月届く本。揃うと全集)が流行。教養に良さげな本を読みたい、買いたい!そんな人がうじゃうじゃ。
1950~60年代 ベストセラーという言葉が生まれた時代
高校進学率が51.5%。様々な理由で学歴を手にできなかった人々の「階級○○」の手段、それが教養を身に着けること。そんな人々は次々と本を手に取っていったー。
1970年代 週休1日 土曜の夜最高!
首都圏に通勤するサラリーマンは電車で司馬遼太郎を読む。一時代前のヒーローたちに想いを馳せる。ノスタルジーは実は○○の効果があった?
1980年代 バブルとミリオンセラーとカルチャーセンター
80年代ついに○○○力を求める人々が登場!大卒=エリートという意識は薄れていく。出世のためには何が必要なのか。そして女性にも教養を求める動きがー。
1990年代 踊る 平成の幕開け
あの国民的マンガ家、遂に世に出る!今までの自己啓発書は心構えや知識について書かれていた。しかし90年代のそれらは読後に取るべき○○について書かれている。
2000年代 アイデンティティとインターネット
ゆとり教育に自己実現。好きなことが活かせる仕事に就きたい。でも自分の好きなことって何だろう。これが「○○○○」の原点だった!
そして2010年代へ

ここで一つ、なぜ働いていると本が読めなくなるのか、について書かれている箇所があります。
2010年代 働き方改革 もっと多忙な件
「トータル・ワーク」の時代到来!
「トータル・ワーク」とはドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーがつくった言葉だ。ピーパーは『余暇-文化の基礎』において、生活のあらゆる側面が仕事に変容する社会を「トータル・ワーク」と呼んで批判した。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p252)
本書ではこの「トータル・ワーク」を本が読めなくなった理由の一つに挙げている。
つまり仕事も家事も生活も、個人の裁量で、「有限」な個人の時間を割り振ってやるべきだとされている。しかし、仕事はいまだに、なにより時間を使うべきだとされる「トータル・ワーク」の長時間労働の社会で。(中略)仕事はトータルーーつまりあなたの「全身」のコミットメントを求める。(中略)ならば、トータル・ワーク社会に生きていること、だからこそ本を読む気力が奪われてしまうことを、私たちはまず自覚すべきではないか。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p254)
つまり、仕事に頑張り過ぎて、本を読む気力が失せてしまう。

まぁね~
まぁね~の使い方ちがう

ちなみにここでいうNOISEとは
(※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p223)
2020年以降 「これが読まなくなった理由?」
ここが前提と考えたうえで。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか。いよいよ核心へ!

この本を読まなければいけない…
タイパ 悪っ
もっとも重要なのは、明治時代以降、本を読む、ということに人々は何を求めて来たかを知ること。ここからは本書を読んで得た、私の見解を交えてお送りします。

ここで2グループに分かれます
一つは娯楽。これは小説をはじめとする、本を読むことを純粋に楽しい、と思うこと。もう一つは修養、教養、そしてその時代に沿ったスキル(あえてここでは○○にしています)を得るための情報収集として。

要はその情報だけ知りたいわけですよ
ここで冒頭の「人生の勝算」。コントローラブルなことに手間をかけるのは、再現性の観点でも、ビジネスにおいて当然でしょう、と前田氏はおっしゃっていますが、コントローラブルの反対は、アンコントローラブル。これら自分の力ではどうしようもないこと、つまり制御できない、管理できないもの、になります。たとえば、電車の遅延、停電、悪天候。場合によっては職場の人間関係などもこれに当るかもしれません。
だからこのほか、自分の力でコントロールできるものに、手間をかける。これが前田氏のおっしゃっていることです。
情報は欲しい。でも本を一冊読んでいる時間はない。ネットで調べた方が早いだろ。気力が失せているなかで、手早く情報を収集出来るツールがある。ならばそれで…

映画館で映画を観ることすらタイパが悪いなんて時代ですから
もちろん本書は、より詳細に明瞭に説明して下さっています!ぜひお読みください!
The Flipper’s Guitar meets REIWA ~文脈、それは本を歩くこと
本書を読んで個人的に大興奮した個所があるので、さらっと紹介します。
採用試験を受けに来たある若者が、音楽ユニットのフリッパーズ・ギターのことを知っていた。フリッパーズ・ギターといえば、少し昔に流行った音楽で、若者にとってはもはや「教養」だろう。しかし若者がたまたまフリッパーズ・ギターという過去のポップカルチャーについて明るく話が盛り上がったことに好感を持ち、採用を決めた。要は、若者は学業や専門的なスキルではなく過去のポップカルチャーという教養で、採用を手に入れたのだ。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p225)
え、君、フリッパーズ知ってるの?はい、親が車でよく流すから覚えちゃったんです。で、改めて聴いたらめちゃくちゃセンス良くて…しかもオザケンって「今夜はブギー・バック」の人だって気が付いて。ねえ、君たちから見て「今夜はブギー・バック」ってどうなの?すごいですよ、あの曲、まず…

これただの人事オヤジ大喜びの巻じゃん
これが教養でなくて、何だろう。(中略)教養とは、本格的には、自分から離れたところにあるものに触れることなのである。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p226)
私が掲げる「本を歩く」も同じ概念です。
たとえ全く別の本を読んでいても、偶然、以前読んだ本のある箇所に出会う。それが知識になるとか、教養になるとか、正直そこまで高尚ではありません。
ただ嬉しくなるんです。ああ、繋がっているって。

私が本が好きなのはこの瞬間を味わうためなのかもしれません
Present for you💐 ~揺さぶるフレーズ
読書とは、自分とは関係のない他者を知る文脈を増やす手段である。だからこそ「半身」で働こう。そして残りの「半身」を、ほかのことに、使おう。
引用:「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(p262)

仕事 チョー適当です
よかった。それで正しかったんだ!これからもチョー適当でいいや仕事なんか!
それはそれで
ちょっとちがうぞ

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