Who are you? ~わんちゃら的太宰その人となり考察
31冊目はこちら!「人間失格」(筑摩書房、1948年7月2日発売)でございます。
著者は太宰 治。1909年青森県金木村(現五所川原市)生まれ。本名、津島修治。東京帝国大学仏文科中退。今回、時折登場する文豪には「氏」を付けず呼び捨てにします。もう、私の中で文豪は人というより神。私との距離が何億光年も離れているので、聖徳太子、織田信長、大塩平八郎、劉備玄徳、モーツァルト、ライト兄弟みたいな感覚で呼び捨てにします。
今回は前編と後編に分けてお送りいたします!
まずは書評の前に 太宰 治その人をわんちゃら流に眺めてみましょう
突然ですが!
人間失格は小泉今日子氏が最初に読んだ純文学だそう!
小泉氏は読後、とても感動されたそうです。そしてこのような感想を述べられています。
読んでみて太宰の、世間を相手に自分を演じる道化感が、自分と近い気がして夢中で読んでしまった。ユーモアもあるし、全然暗く感じなかったんです。
引用: 小泉今日子はなぜ太宰治のファンで、三島由紀夫をきらいなのか | AERA dot. (アエラドット)
かっけーぜキョンキョン
片や芦田愛菜氏はこう仰ってます
本好きな友達とよく議論になるのが『芥川龍之介と太宰治、どっちが好き?』というテーマです。どちらが好きかといえば、私は芥川龍之介派です!
引用:「まなの本棚」(P197)
このテーマでお友だちと議論になるなんて流石ねアータ
太宰治の作品は、深刻で陰がある感じがするんです。なんでそんなに卑屈になるんだろう、みたいな登場人物が多くて。でもそのマイナス感がいいって人もいますよね。人間の弱いところを突かれて逆に教訓になる、と。その「人生に悩んでいる感じ」や「途方に暮れている感じ」が太宰好きの人にはたまらないんだと思うのですが、私は言いたいことをスパッと切り取って物語にまとめてしまう芥川が好きです。
引用:「まなの本棚」(P198)
愛菜ちゃん…
太宰 酒あおりそう
続いて精神科医で文筆家の春日武彦氏です。
太宰治氏に関して春日氏は「自殺帳」にてこう紹介しています。
太宰治はまぎれもなくフィロバットであった。彼の作品では「黄金風景」や「佐渡」をわたしは好むが、これらはつまりフィロバットがオクノフィル的なものへ憧れるところに滋味がある。
引用:「自殺帳」(P173)
春日武彦氏「自殺帳」によると、フィロバットやオクノフィルは英国の精神分析が専門領域である精神科医、マイクル・バリント(1896~1970)の造語だそうです。
フィロバット(philobat)…スリルにのめり込んだり夢中になるタイプ。アクロバットに因んでいる。例えば、冒険家、戦場カメラマンや爆発物処理班など実際に命の危険を伴う職業にとどまらず、芸能人、水商売、ギャンブラーなど不安定かつ「ヒリヒリ」することで生きていることを実感する方々である。作家で飛行士でもあったサン=テグジュペリ氏(星の王子様)、ベトナム戦争時に臨時特派員をし釣師としても世界を釣行した開高健氏など。
高所自撮り愛好家「ルーファー」も含まれる?
発信元を承認欲求と自己愛とで分けるかどうか
オクノフィル(ocnophil)…危険を嫌悪し安全を堅固するタイプ。ひるむ、しがみつくを意味するギリシャ語から。春日武彦氏は「プールサイド小景」(みすず書房、1955年発売)で芥川賞を受賞された庄野潤三氏をオクノフィル系作家の典型とするものの、一方で「贖罪にのめり込んでいるフィロバット」とも言いたくなるとも。
太宰は5回自殺・心中未遂をしたそうねアータ
そこにスリルを
感じたのかしら
そういうとこばかり
食いつくんだから
「自殺帳」55秒はこちら!
そういえば太宰が生まれた年に ある偉大な調味料が発売されてます
味の素が一般発売されたのが1909(明治44)年5月20日、一方、太宰 治の生年月日は同年6月19日。ところで当時の味の素の値段ですが、料理研究家のリュウジ氏の著書「料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?」(河出書房新社、2023年10月26日発売)ではこう書かれています。
味の素の豆知識を
一振りどうぞ
発売当初の味の素は、小瓶(14g)40銭、中瓶(30g)1円、大瓶(66g)2円40銭でした。当時の1円は現在の4000円に相当するともいわれていますので、これをもとに計算すれば、14g入りの小瓶は、1600円に相当します。現在のアジパンダ瓶(70g)とほぼ同じ内容量の大瓶だと、9600円!超高級品だったんですね。
引用:「料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?」(p132)
そんな”同い年”の味の素を太宰は愛しておりました。同じく「料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?」にこのような一文もあります。
壇 一雄のエッセイ「友人としての太宰治」にて、味の素について語る太宰の姿が書かれています。そこでは壇の自宅にやってきた太宰が、壇の妹に「腹が減った、何かない」と聞き、食卓の前に並べられた品々を眺めながら…
やれ、塗箸は赤くなくっちゃいけないだとか、やれ、シジミは汁だけを吸うのだとか、やれ、海苔はこうやって、揉んでゴハンの上にフワリと振りかけるのが一番だとか、何よりも味の素だとか、地上で信じていいものは味の素だけだとか……、とりとめのない出まかせを口走った挙句、「じゃ、壇君、出かけようか?出かけるなら、早い程、いい」とまったく巧みな頃合を見はからって、家の中から滑り出してしまうのが常でありました。
引用:「料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?」(p147)
地上で信じていいものは味の素だけww
リュウジさん気持ちいいだろうな
ちなみに、東京都三鷹市にある禅林寺に森鴎外と太宰のお墓があります。太宰に関しては毎年、6月19日の桜桃忌にはたくさんの太宰マニアが集まります。色とりどりのお花、サクランボそしてアジパンダ瓶が置かれ、皆様が思い思いに太宰を偲んでいます。
太宰の生涯にうま味のアクセント
うまいこと言っているつもりかしらアータ?
こちらの本の55秒書評はこちら!
どうでもいいけど味の素への愛云々より 随分遠慮が無いわね太宰アータ
では太宰の性格についてみていきましょう
「人間失格」(KADOKAWA、1989年4月10日発売)の壇 一雄による解説「太宰 治-人と文学」によると、背丈は1メートル73,4。ただ体重は50キロにも足らなかったそう。そして心持猫背。
けれども酒は豪酒であり、酔えば、屈託なくおどけ、いや、津軽土着の、野太い諧謔があった。
引用:「人間失格 KADOKAWA」 (p172)
諧謔というのはユーモア、冗談と言う意味。その一方で…
太宰がメソメソと泣いてばかり居たとでも思い込まれたら残念だから、云っておくが、太宰は野性的で、野暮で、逞しい一面をたしかに持っていた。まるで、全身を泥まみれにして笑い興じるような、底の抜けた、野太い、快活である。
引用:「人間失格 KADOKAWA」 (p172)
例えば、檀が太宰とある鰻の一杯飲屋で鰻の頭だけをあぶったものを食べた時のこと。ある夜、檀がガツンと鰻の針を噛み当てました。
「アハハハ……、鰻の針を噛み当てるなんてね、願ったって、おいそれと、出来やしないぜ。これが人生の、余徳だよ。人生の余徳……」いつまでも笑いやまなかったから、まるで昨日のことのようにその太宰の笑い声を覚えている。
引用:「人間失格 KADOKAWA」 (p172)
これらを見てなるほどね、と腑に落ちたところがあります。それは太宰が故郷への思いを綴った名紀行文「津軽」における最後の一文。私ラムノ、ここが大好きなのですが…
さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
引用:「津軽 KADOKAWA」(P201)
小泉今日子氏のいうところのユーモアが感じられます。飄々とした、軽々とした、適当というか。「では、失敬」もう挨拶したから終わり、もう来るなよ、これから酒飲み行くんだから、みたいな自分本位な心が透けて見える感じがして…
好きだなあ 本当にここは
一方、太宰とともに無頼派と呼ばれた坂口安吾は「死に近きころの太宰は、フツカヨイ的でありすぎた」(参考:「文豪たちの悪口本」(P78))。そして「父」や「桜桃」などといった作品を「フツカヨイの中にだけあり、フツカヨイの中で処理をしなければならない性質のもの」と語っています。
しかし安吾は太宰の人間性について「フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまりマットウの人間」と捉えていたようです。ここでそんな安吾による太宰のエピソードを一つ紹介します。
太宰と安吾と同じ無頼派と呼ばれた織田作之助の一周忌での場のことです。織田夫人が二時間ほど到着が遅れていたそうですが、誰かが作之助の浮気について話し始めたので、安吾が「そういう話は今のうちにやってしまえ。織田夫人がきたら、やるんじゃないよ」と言いました。そうすると…
「そうだ、そうだ、ほんとうだ」と間髪を入れず、大声でアイヅチを打ったのが太宰であった。先輩を訪問するに袴をはき、太宰は、そういう男である。健全にして、整然たる、本当の人間であった。
引用:「文豪たちの悪口本」(P79)
自分の女遊びは別の話なのねアータ
ちなみに私、衝撃を受けたエッセイがありますか?と問われたら迷わず安吾の「日本文化私観」を挙げます!このエッセイで得た知識や概念は、10数年前の読後から今日まで私を形成する根幹になっています。びっくりするほど面白い。
近日ぜひ55秒で紹介させてください!
Where’s the beef? ~文豪たちのビーフ
ところで。
太宰は結構周りから叩かれていて…
ここで文豪たちが太宰に言い放った言葉を紹介します。
私見によれば、作者目下の生活に嫌な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあった。
引用:「文豪たちの悪口本」(P79)
第一回芥川賞において、太宰の短編「逆行」が候補作としてあがる中、選考委員のひとりだったノーベル文学賞作家、川端康成が上記発言。当時鎮痛剤依存に陥り、薬欲しさに借金を重ねていたことを指していたようです。結局太宰は芥川賞を逃し、後日川端に対し「刺す」と手紙に記しています。
なんだ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。
引用:「文豪たちの悪口本」(P79)
ランポ―の代表的訳者、中原中也が初対面の太宰への一言。中也は常識の破壊を掲げる「ダダイズム」に傾倒しており、初対面でも常識的な対応はせず、いきなりケンカ腰で絡むことがよくあったそうです。尊敬していた中也にそう言われた太宰は萎縮してしまい、ろくに話せなかったとのこと。
とぼけて居るね。あのポーズが好きになれない。
引用:「文豪たちの悪口本」(P79)
小説の神様、白樺派、志賀直哉の発言。作家、広津和郎との座談会での発言。直哉は他に太宰の「斜陽」を「貴族の令嬢の言葉遣いがおかしい」と酷評。元々太宰が直哉に反感を持っていたことを知っての発言でした。これに対し太宰は直哉の「暗夜行路」を大袈裟な題をつけたものだ、この作品のどこに暗夜があるのか、挙句の果てには何処がうまいのだろう、と神様をこき下ろしています。
中也キュンには何も言えなかったのね萌えるわアータ
「暗夜行路」いつか55秒やります!
後編はいよいよ人間失格55秒!
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