【55秒書評】「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」

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Who are you? ~どんな内容?

26冊目は「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(晶文社、2024年6月12日発売)でございます。

著者は牧野宏美氏。毎日新聞記者。2001年に入社。広島支局、大阪社会部、東京社会部などを経て、現在(2024年6月本書刊行時)デジタル編集本部デジタル報道部長。広島支局時代は原爆被爆者の方たちからの証言など太平洋戦争に関する取材を、デジタル編集本部では就職氷河期世代のルポルタージュ、SNSによる中傷被害について考える連載に関わり、2022年からはジェンダー格差、生きづらさを抱えた女性に焦点を当てたウェブコラムを執筆されています。毎日新聞取材班としての共著に「SNS暴力ーなぜ人は匿名の刃をふるうのか」(2022年 毎日新聞出版)。

ラムノ
ラムノ

からゆきさんとはなにか?

もともとは十九世紀後半に海外へ出稼ぎに行く人は男女問わず「唐行きさん(外国へ行く人)」と呼ばれていたが、次第に外国で売春業に就く女性を指すようになった。

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(P16)

この本は、牧野宏美氏が就職氷河期世代のルポ連載において、困窮する非正規労働の女性を取り上げ、それを契機に女性の貧困を生む社会とは何か、お考えになられ…

そんな牧野氏が時代をさかのぼって女性の生き方を調べる中で「娼婦」と呼ばれる女性たちに出合った。

「からゆきさん」、吉原遊郭、米軍基地の「パンパン」。横浜のメリーさん、立川デリヘル殺人事件。新宿区大久保公園。気鋭の新聞記者が、一二〇年にわたる娼婦、売春の真実の姿に迫る。歴史的な概要を知るのに最適であるとともに、これまでの女性史とは一線を画する一冊。

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(表紙裏)

ちなみに「パンパン」とは諸説あるが、有力とされているのが第一次世界大戦後に日本が統治した南洋諸島で、日本の兵士が現地の女性を「買う」時に手をパンパンとたたいて呼んでいた、というもの。

吉原遊郭の歴史は古く、1617年に現在の日本橋人形町の「葭原よしはら」に幕府公認の遊郭が作られたのが始まり。葭原の“葭”は植物の名前で、この地域には葭やそのほかの植物が生い茂る湿地でした。葭原はここを埋め立て葭原という街を作りましたが、のちに縁起の良い文字に改めて「吉原よしはら」にしたそうです。

ちなみに1958年に売春防止法が全面施行されるまでは、これら今までの遊郭の界隈は「特殊飲食店街」として半ば売春が公認され警察が地図上に赤い線で囲んでいたことから、そのエリアは「赤線」と呼ばれました。一方、指定市域外の非合法の売春エリアに関しては、警察が青い線で囲んでいたことから「青線」と呼ぶようになりました(諸説あり、真偽は定かでない)。

余談ですが、あの細木数子氏も渋谷の青線地帯でお生まれになっているそうです。

また横浜のメリーさんとは、伊勢佐木町で顔を白塗りし、白いドレスに身を包み客を取るために立っていた「伝説の娼婦」のこと。ちなみにもう一人、同時期に娼婦として立っていたメリーさんのライバルがローザ。俳優の五大路子氏のひとり芝居「横浜ローザ」のモデルとなった人物です。

立川デリヘル殺人事件は2021年6月1日、派遣型風俗店(デリヘル)で働く31歳の女性が当時19歳の少年にめった刺しにされ殺されたことをいう。

新宿区大久保公園付近は通称「立ちんぼスポット」。男性と直接交渉し売春をする娼婦が数メートルおきに立っている。取材に応じた、ある女性は普段は他の風俗店で働くも、収入が足らず待機時間以外はここに来ると仰ってました。

ラムノ
ラムノ

写真や挿絵など貴重な資料もたくさん掲載されております

表舞台に決して立つことのなかった女性たちの姿がここにあります。

そして私が「まあ、これがひとつの答えかな」と思ったところを、少し長いのですが紹介させていただきます。

著者である牧野氏がNPO法人「レスキュー・ハブ」理事長の坂本新氏(51歳)を訪ねられ、聞いたお話の一部なのですが…

女性たちが性風俗や売春に従事する理由はさまざまだ。経済的困窮が多いが、困窮に至った事情としてはシングルマザーだったり、非正規の仕事を失ったり、奨学金の返済に追われたりと多岐にわたる。虐待やDVを受けるなどして居場所がない、ホストクラブ通いで多額の借金を負った、恋人から金を稼ぐよう脅された……といったケースもある。

さらに坂本さんは発達障害や知的障害を抱え、これまで生きづらさを感じてきた人も一定数いると見る。昼間の仕事をしていた発達障害の女性は周囲から「空気の読めない人」と扱われて居づらくなり、うつ状態になって仕事をやめ、働く気力も失って「娼婦」になったという。

一方で「娯楽のため」「なんとなく」という理由で始めたり、仕事として割り切って従事したりしている人もいる。

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(p206~207)

坂本氏曰く、2018年当時は公園(新宿区大久保公園)のそばに立つ女性の数が、コロナ禍が始まった2020年4月以降、特に緊急事態宣言明けの5月から女性の数が増えていったとお話されております。

生活保護など本来の社会保障が機能しておらず、事実上、性風俗が「セーフティネット」になってしまっているという現実だ。

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(p208 )

私、ラムノ、実生活で仕事柄お役所の方とも話をするのですが、生保申請、面倒なんですよ。多分お役所の人と冷静にお話し出来る人って思ったより多くないと思う。

かのん
かのん

いつの時代も、女性にとってこれがセーフティネットだったってこと?

ラムノ
ラムノ

それで片付けるのは少々乱暴ですが…

I like you! ~紹介する理由

この本には娼婦として生きた何人もの女性たちの生きざまが描かれています。私が心に残ったのは、そんな女性たちに対する、周囲の接し方です。

①:第一章の終盤、島原市の元教育長の方の話

終戦直後、島原市の元教育長が、子どもたちが道端で「淫売」という言葉を投げかけられた元からゆきさんの女性が取った行動をよく覚えていて、取材にこう答えられています。

そう言われた女性は、顔を隠すようにしてその場から走り去っていった。

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(p48)

親が子どもに日頃からそう話している。そんな日常が差別に繋がる。現代日本でもこのスタイルは常道でしょう。

②:ジャズ喫茶<海>マスター小宮一悦氏の話

ジャズ喫茶<海>は埼玉県朝霞市にある、日本最古のジャズ喫茶店と言われています。当時ここ一帯は、終戦直後に米軍が進駐し基地の街として栄えたそうです。ジャズ喫茶<海>は小宮一悦氏の父親、一晃氏が始めたお店なのですが…

小宮氏が小学校低学年の頃、<海>の近くにある一軒家に白人兵が入っていくのを見た。その後「お姉さん」からちょっと待ってて、と声を掛けられたそうです。30~40分が経ち、白人兵が出て行ったあとに、一悦氏はお姉さんからチョコやお菓子をもらいました。しかし、ご両親は「もらってはだめだ」と怒られたそうです。

「あのお姉さんが生活のためにやっていたんだ、とわかるようになったのは、もっと大きくなってからです。お菓子のことでは怒られましたが、父はお姉さんをおとしめるような言動はしていなかったと思います。近所のストリップ劇場で働く女性たちの子どもの面倒を店で見てあげていました。だからこそあのお姉さんも<海>のボク、と親切にしてくれたんじゃないでしょうか」

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(P123)

<海>の初代!
かっこいいなあ!

ココ
ココ

こういった女性が少しでもいなくなる社会の実現を目指す!……非常に耳障りは良いのですが、その前に偏見をなくす、せめてそういう生き方を「そういう生き方もあるよね」と思える社会づくりが必要だと思います!

Present for you💐 ~揺さぶるフレーズ

そんなんとを四九(人)したよ。わたしゃ、一日ひと晩のうちに。

引用:「春を売るひと 「からゆきさん」から現代まで」(p29)

老いた女性の肉声テープ。

ラムノ
ラムノ

1888年に生まれ 1967年に亡くなった「元からゆきさん」が語った経験の一部です

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