Help me! ~いやあ、しんどいなあ
今回のお悩み:
「便利屋として“いいように使われてる”だけじゃないか…」
さあこの方の出番です!

Proud man No.6 ~孤高のバットマン
稀代のバットマンが3年間全力を尽くして、2度のリーグ優勝と長嶋監督初の日本一をもたらしながら、最後は巨人軍に裏切られたのだーー。
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(p258)

この会見の長嶋さんと落合博満氏の表情が最高にいい。
「記者会見の時は俺、醒めていた。もう完璧に醒めていた。やめるんだもの。でも、野球をやめるわけじゃない、巨人をやめるだけなんだ。解雇じゃない、退団なんだ。球団からクビを切られたわけじゃない、自分からやめたんだ。だから、俺の勝ちだよ」(不敗人生43歳からの挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
引用:落合博満、1996年巨人退団の真相 長嶋監督への思いと43歳での決断(3/3) – プロ野球 – Number Web – ナンバー
伏し目がちな長嶋さん。そしてその横にはときに笑みさえ浮かべていた。
これがリーグ優勝48回、日本一22回を誇る読売巨人軍の歴史において、唯一「位負け」しない稀代のバットマンが名門を棄てた瞬間だ。
ただ、ひたすら、個人的に落合博満はかっこいい。
SHIGEO NAGASIMA ~ミスタープロ野球
なぜ、このタイミングでこの本なのか。
その答えはこの方の訃報です。

監督、きょうは素振りないですよね?
引用:【巨人歴代OBが弔辞】長嶋茂雄氏の告別式|松井秀喜さん「監督、きょうは素振りないですよね?」王貞治さん&中畑清さんら弔辞で想い語る
いやあ、この一言には鳥肌が立ちました。感動…というか人が放つ言葉の重み、重力に引きつけられるというか…この場合は惹きつけられるが正しいというか。
これだけで長嶋さんと松井氏のきずなを感じることができる。

落合氏もこの告別式に参加されていましたよね
落合氏が仮に弔辞をされたら…そんな想像をされた方もいらっしゃったのではないでしょうか。
と、そんな中…

司会の膳場貴子アナウンサーに「落合さんにとって長嶋さんはどんな存在でした?」と聞かれると「いやあ、もう憧れ(以外)の何者でもないですよ」と落合さん。
引用:落合博満さん、長嶋茂雄さんの教え明かす「見に来るお客さんに寂しい思いをさせちゃいけないんだっていう、その一心で」(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース
落合博満氏にとり長嶋さんは憧れ。その長嶋さんがお亡くなりになりました。
会見で「長嶋監督を胴上げするために来た」と語った落合。40歳の新たなスタートだった。
なにが、どう、事件だったのか。
そして巨人軍と落合博満氏の間に何があったのか。
なぜこの本のタイトルに「VS.」が用いられているのか。

さあ あの頃の巨人ファンいらっしゃい!
Who are you? ~どんな内容?
66冊目は『巨人軍 VS. 落合博満』(文藝春秋、2024年10月10日発売)でございます。
著者は中溝康隆氏。1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。
この本は「NumberWeb」で2023年8月から2024年6月まで連載されたものに加筆修正したノンフィクション作品になっております(巻末より)。
「巨人はこんなに練習しないのか…」(40歳落合)
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(表紙帯)
VS.
「早く落合をクビにしろ!」
「4億円の値打ちない」(巨人OB)
ここでいう巨人軍とは、単に監督、コーチ、チームメイトのことだけではない。オーナー会社の社長だった、当時の渡邉恒雄氏、そして主に球団の経営、マーケテイング、選手獲得や育成、ドラフト会議の人選、外国人の獲得などの業務に携わる、代表、幹部、上層部といったフロント、そしてOB、巨人軍というブランドイメージ、ファンなどのことです。

まだあります
巨人軍から離れてしまいますが、当時の時代背景も落合氏にとって必ずしも追い風ではありませんでした。
That era ~その時代を落合博満と呼ぶ

時代背景ってなあに?
AI先生によれば、ある出来事や作品が生まれた時代の社会的・文化的・政治的な状況や雰囲気を指します。具体的に言えば、その時代に流行していた音楽やファッション、社会の仕組みや常識、好景気、不景気などの経済具合。これらを時代背景と呼ぶ。
たとえば、これ。
FA ~落合VS.選手会
1991年。この年は三沢光晴がタイガードライバー91を初公開した記念すべき年だが、
三沢は今関係ないだろ

移籍の自由を主張できるフリーエージェント制を目指す選手会。片や、支配下選手枠の撤廃や統一契約書の見直しが先と考える落合氏の間で溝が生まれる。その後東京と大阪、全624選手が参加した選手会臨時大会を、当時球界最高給の落合氏は欠席。さらに翌年、選手会から脱退されます。
選手会と落合博満氏。
この背景がありながら、FA元年に巨人に移籍する。

結局FAやるのと思うでしょこれじゃ
事実、一部の選手からも不満が出たらしい。
Major ambition ~落合博満もメジャーに行きたかった?
現役時代メジャーへ行きたいという思いはあった?
ありましたよ!
引用:落合博満もメジャーに行きたかった?【公式】落合博満のオレ流チャンネル – YouTube
ご自身の公式チャンネルでもお話されていますが、当時ウインター・リーグに参加することすら、所属チームが容認しない時代でした。つまり、仮にチームを変えても「国内でしか」野球選手はプレイできなかった。
終身雇用と自己犠牲
男は黙ってチームのために……が美徳とされた昭和の球界で、「オレを高く買ってくれるところにいく」なんて堂々と主張するトッププレーヤーの出現は事件だった。
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(P45)
はっきり金を口にすることを「ダーティーなイメージ」と切って捨てる巨人OBもいた。いや、今なら当たり前ですよね。それでも、あの頃はそういう目で見ている人が少なからずいた時代だったんです。
大切に育ててくれた球団に…って、これは当時の清原和博氏も、
9月16日には、堤義明オーナーが「清原を中心に作ってきたチームだから(週刊ベースボール1996年10月7日号)という異例の声明とともにあらためてFA移籍を引き留める姿勢を打ち出す。
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(P242)
FA黎明期。球団側も現在より露骨に引き留めに躍起になっていた。
こういった時代に落合氏は巨人に入団したわけです

Three men ~原と松井と清原
この本は特に原辰徳氏、松井秀喜氏、清原和博氏と落合氏の関係についても言及しています。
No.8 ~若大将 原辰徳【ライバル】
「僕自身は現状維持(1億1500万円)で仕方ないけど、パッと(FAで)来た人が、自分の何倍ももらうのはどうかと思う。それに、こういう使い方をされて、チームに対する忠誠心をいわれても、優勝しようという気にならないよ。(週刊現代1995年1月14日・21日号)
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(P152)
原辰徳氏はこの1995年に引退。
落合氏のFA巨人移籍は若大将・原辰徳氏にとって何をもたらしたのか。
No.55 ~ゴジラ 松井秀喜【後継者】
「僕が四番を打てるようになれば、落合さんはもっとラクにプレーできるだろうし……。四番を打てる資格を、早く手に入れないとダメですね。だれもが認めてくれるような数字を残して、四番に座ってからもそういう数字を残せるようにならないと。落合さんによく言われるんですよ。『お前、早く四番打てるようになれ』って(笑)」(週刊ベースボール1996年7月29日号)
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(P228)
結局、落合氏が巨人に在籍中、松井氏が力で四番を奪うことはできなかった。
No.5 ~番長 清原和博氏【師弟関係】
清原はそんな厳しくも優しい当時のNPB最強打者に心酔する。ロッテ戦になると、尊敬する落合がイレギュラーで怪我しないよう、選手交代の際に一塁ベース付近を念入りにスパイクの底でならしてからベンチへ帰る背番号3の想い。
引用:『巨人軍 VS. 落合博満』(P241)
そして清原和博氏がFA宣言、巨人移籍の年に、落合氏は巨人を去ることになる。
なんという登場人物の濃度だ

Present for you💐 ~揺さぶるフレーズ
お子さん(福嗣氏)を東京の自宅の近くの、公立の小学校に入学させたい。
信子夫人の思いに、中日に骨を埋めるつもりだった落合氏は、一転、FA宣言をする。
契約変更は個人経営者同士の戦いの場、と言っていた落合氏だったが、YouTubeスタッフの「最終的に福嗣くんの進学を1番に考えてやっぱり東京の方に行こうかなという…?」という問いに、
いやーあのー家族だからね
引用:中日を愛した落合博満がFA移籍した最大の理由を明かす【巨人編①】
落合氏はあの時代、終身雇用制を否定し、個人経営者としての自我を押し通す、まさに新時代の旗手でいながら、家庭人としては、家族優先いや家族第一で動いていた方だった!
家庭人としても時代を先取りしていたんですね!

落合博満、伝説の監督編はこちら!
Thank you! ~55秒解決!
今回の【55秒解決】
「今の自分を変えるのに、“遅すぎる”ことはない」

辞める”は終わりじゃない
“始める”ための一歩になる
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