この記事は『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』を読み、その人気講義を味わったうえで、個人的見解を加えまとめたものです。
Help me! ~いやあ、しんどいなあ
今回のお悩み:
「イェール大学で23年連続の人気講義ってどんな講義なんだろう?」
じゃあこれ読んでよ
Who are you? ~どんな内容?
128冊目はこちら!『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(文響社 2019年7月17日)でございます。
驚愕の732ページ!
冒頭にあるシェリー先生の
お言葉です
どのような生き方をするべきか?”誰もがやがて死ぬ”ことがわかっている以上、この問いについては慎重に考えなければなりません。どんな目的を設定するか、どのようにその目的の達成を目指すか、念には念を入れて決めることです。
もし、死が本当に”一巻の終わり”ならば、私たちは目を大きく見開いて、その真実に直面すべきでしょう。ー自分が何者で、めいめいが与えられた”わずかな時間”をどう使っているかを意識しながら。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p1)
著者はシェリー・ケーガン氏。1956年生まれ。イリノイ州スコーキー出身。1976年にウェズリアン大学で学士号を、1982年にプリンストン大学で博士号を取得。イェール大学の哲学教授で、道徳哲学・動物倫理・死の哲学の第一人者です。著書『道徳の限界』では、常識的な道徳観を批判し、善を最大化する義務や行為の是非を再検討しました。公開講義「Death」は世界的な人気を集め、著書『Death』にも発展。動物倫理では知性や利益に応じて道徳的地位が異なるとする階層的立場(モーダル・パーソナリズム)を提唱し、近年は魚の知性への理解を深めたことから、自らも魚食をやめるなど、倫理的実践でも注目されています。
本書に行く前に…
哲学とはなんだ?
今回の『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』のジャンルは哲学になります!まずは哲学に関するおさらいです!
哲学のルーツはこんな感じです
哲学とは、「世界はなぜ存在するのか」「人はどう生きるべきか」といった根本的な問いを、理性で考え続ける学問です。その始まりは紀元前6世紀頃の古代ギリシャで、タレスが神話ではなく理性的に世界を説明しようとしたことが西洋哲学の出発点とされています。一方、中国では孔子や老子、インドではブッダが、人間の生き方や心について探求し、東洋哲学が発展しました。時代は変わっても、哲学はAIや環境問題など現代の課題にも向き合い、「人間とは何か」を問い続ける学問として、今も私たちの暮らしに息づいています。
散歩とはなにか?
飛ぶ臭いとはなにか?
「なに?」「本当にそうかな?」と考え続ける学問です
正解は一つではない
前にも哲学やったわよねアータ?
人生後半戦に役立つ哲学が
ここにある!
哲学とは長らく、世界に秩序を見出そうとすることでした。
引用:『現代思想入門』(p116 )
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そして今回の哲学は…
「死」について!
本書の最後、翻訳者である柴田裕之氏があとがきでこう述べられています。
もともとは学生向けの講義だが、このシリーズは、学生に限らず、好奇心や興味のある人なら誰にでも読んでもらう目的で企画された。だから、もちろん若い学生の方々にも読んでいただきたい。とはいえ本書は、若かろうが、そうでなかろうが、死について考えてみる気が起こったときが、読む潮時だろう。そして、「死」がテーマとなれば、年齢を重ねるうちに関心が高まるのは自然なことだから、二〇代より上の方も、あるいはむしろそういう方のほうが、味わい深く、そしてまた切実な思いで読んでいただけるという気がする。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p729~730)
これまさに私!読みたい!って
思った強烈に!
死を意識する年齢だものねアータ
本書の特徴として、章立てではなく「第1講」「第2講」と書かれています。これは実際のシェリー先生の講義に基づいた形式となっています。肝心の講義はまるで小説を読んでいるかのような、非常にドラマチックな内容です!そして各講義のポイントを紹介しながら、先生の見解をお伝えします。
参考までに「死」の少し前の生き方についてはこの本!
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本書に対するこのサイトの見解
ここは大事
本書の購買推薦記事…ではない
この本面白いですよ、ぜひ読んでみて下さいね!というスタンスよりも、単純に「イェール大学23年連続の人気講義 「死」とは何か」がどんな内容か知りたい。
第一にシェリー・ケーガン先生の見解
23年連続の人気講義の講師がどういった見解なのかを知りたい。
「死」に関する新たな知見を得たい
「死」に関するあらゆる情報、知見、見解に触れ、私自身の人生に生かしたい。
というわけで今回は完全にネタバレ注意&私の超個人的解釈による記事です
解釈がちがうとかズレているといった意見からのただの予防線じゃないのアータ
それでは元気に
逝ってみよう!
まだ死にたくないよ
第1講「死」について考える
最初に本書で検討しないテーマを
発表します
・自分が死ぬという事実を受け入れるプロセス
・死別したり死者を悼むプロセス
・死にゆく相手に対する態度の問題点 等
主に逆に取り上げるテーマ
・人間は死んだらどうなるのか
・私たちには魂があるのか
・私たちが死後も存在し続けるためには、何が必要なのか
・死が本当に一巻の終わりならば、死は現に悪いものなのだろうか
死についてのシェリー先生の見解
さて、これから私が本書で何をするかと言えば、どれはそうした見方は最初から最後までほぼ完全に間違っていると主張することだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p28)
さらに先生はこの本は哲学の知識があるという前提に立っていないと仰っています
じゃあシェリー先生はどういった
立場なのよアータ
それは読み進めていくと次第に分かってきます
第2講 二元論と物理主義
二元論とは、世界は事物の根本的な、そして背反する二つの原理や基本的要素から構成されているという考え方で、物理主義とはあらゆるものは物理的であるとする哲学上のスタンスのこと。
まだ本書序盤の第2講でシェリー先生は早くも「身体が死ぬ」とはどういうことか?と疑問を投げかける。
発端が何であれ、最終的には血液の循環が止まり、酸素がもう体中に行き渡らなくなる。そのため脳内の酸素が欠乏する。酸素が届かないから、細胞はさまざまな代謝のプロセスをもはや行えない。そのせいで、種々の細胞の損傷を修復したり、不可欠のアミノ酸やタンパク質を作り出したりできない。こうして衰退がが始まり、細胞の構造が崩れだす。それなのに、いつものように修復されることはない。やがて決定的に重要な細胞構造が崩壊し、万事休す!身体が死ぬ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p39)
なんだこれで終わりじゃないの
アータ
いやいや、ここからシェリー先生は「身体が死ぬ」と「私」はどうなるのか?私は自分の身体の死を生き延びるだろうか?と疑問を展開していきます。
・二元論:人間=身体+心(魂)
・物理主義:人間=身体
ここでいう生き延びるとは魂を持ち出し、身体が滅んでも魂は不滅という考え方。
大雑把ねアータ
全部追ってたら終わんないよ
他方、物理主義は身体が死ねば能力も消える。だから心も消滅する。
シェリー先生が物理主義を支持する理由
本書のP67で書かれていますがシェリー先生は物理主義者の御立場です。ですが「魂」という言葉は普通に使う。それは表現方法の一部として、あるいはある言葉の代替として、です。決して魂を非物質として捉えていない。だからこそ事をはっきりさせるため…
物理主義者は魂の存在はまったく信じていない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p69)
第3講「魂」は存在するか?
二元論と物理主義、この二つの見方のどちらを信じるべきか?シェリー先生は第3講で魂の存在を信じるべきかどうか?としています。
二元論も物理主義も身体の存在は信じているからね
それにしても魂の存在を信じていないのにシェリー先生はなんでまた魂を信じるべきかなんて言い始めたのよアータ
それは本講『「死」とは何か』の目的である、それぞれの主張について少なくとも考えてみることが重要だから、とお話されています。
本書はこの先しばらく魂を欲望や信念といった言葉に置き換えながら検証します
魂は観察できない。ではどうやって証明するのか?
「最善の説明を導く推論」目に見えないものの存在を証明するには?
ここで本書でも指折りの「日頃私たちでも使える」論法が登場!
たとえば、私はなぜ原子の存在を信じているのか?私には、間違っても個々の原子は見えない。それならば、目に見えないほど小さな粒子の存在を私が信じることは、なぜ正当か?なぜなら、原子論のおかげで、物事の説明がつくからだ。
(中略)私たちは、目に見えないものの存在を推論することがある。それは、そうすることで、他には説明のしようのないことの説明がつきやすくなるからだ。この論法のパターンは至る所に見られる。哲学者はこれを「最善の説明を導く推論」と呼ぶ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p74)
そこで第3講でシェリー先生は様々な検証を試みます。
しかし…
シェリー先生は最終的に、二元論に関して「素晴らしい説明を提示せず、何か非物質的なものを前提とすれば、説明する上で(どういうわけか!)有利になると主張するだけのように私には見える。そしてそれは、あまり説得力のある主張には思えない」(p141)
うおっ厳しい!
「二元論VS.物理主義」の一応の着地点
したがって私は、二元論のためにこれまで考察してきたさまざまな主張は、少なくとも現状ではうまくいかないと結論する。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p141)
第4講 デカルトの主張
二元論は捨てざるを得ないのだろうか。いやそうとは言い切れない!
もういいわよアータ二元論ちゃんも戸惑っているわよアータ
デカルトの二元論
Aというものが存在している一方で、Bは存在していない。それであればAとBは別個である。
うう難しいよう
なんでよ
ここでは身体なしで、心を想像できるから、理論上心と身体は別個だよね、というのがデカルトの二元論。
ここからまた検討されていく
たとえば、私がドラゴンがいる世界を簡単に想像できるが、だからといって、ドラゴンが実際、物理的に存在しうるということにはならない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p159)
シェリー先生
暇なのアータ?
こらこら
デカルトの二元論についてのシェリー先生の考え
(前略)心は身体とは別個のものであることを立証しようとするデカルトの試みは、じつに見事で人を魅了するものであるとしても、最終的に成り立たない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p166)
第5講「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
ここまでのおさらいですがシェリー先生は全く魂の存在を信じる有力な理由はないという御立場です
ただしそれでも多くの人が魂の存在を信じている。ならば不滅性についても問うてみるだけの価値はある。「魂は不滅である」と信じる理由はあるのか?
シェリー先生
散歩行こうよ散歩
先生暇じゃねーつの
プラトンの主張のまとめです
(1)合成物だけが破壊できる。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p196)
(2)変化するものだけが合成物である。
(3)見えないものは変化しない。
したがって、(4)見えないものは破壊できない。
したがって、(5)魂は消滅させることができない。
プラトン「魂は見えないうえ単純だから破壊できる種類のものではない」
で、結論。
プラトンの物理主義批判に対するシェリー先生の評価
したがって、私は彼を称賛したい。だが同時に、物理主義の立場に対してプラトンが提起するさまざまな異論は成り立たないとも言いたい。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p228)
第6講「人格の同一性」について
ついに魂論争ここで終結!
シェリー先生がここまできてついに魂は存在しない、という御立場を表明!
魂が存在すると私たちに納得させるために提示されてきたさまざまな主張を眺めると、あまり説得力がないからだ。あるいは、私にはそう見えるからだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p237)
「死の講義」の前提となる魂の扱い方
したがって、ここから先は、物理主義者の見方を受け容れることが正当化されるという前提で話を進める。私は物理主義の見方が正しいという前提に立つ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p237)
さあ新たなステージです
つぎにシェリー先生は「自分の死を生き延びられるかどうか」との戦いに挑まれます!が…その前にはっきりさせなければならないことが2つあるとおっしゃいます。
第一に「私とは何者なのか」
これは「何から成り立っているのか」に置き換えられるので、はっきりと「ただ身体のみ」と結論。
魂論への別れ
第二に「死を生き延びるためには何が必要か」
ここでは「生き延びる」=「存在し続ける」と書かれています
普通死んだら終わりじゃん
しかし本書は哲学の講義。また何度も様々な見方を検討します。
ここで出てくる新たな哲学問題が「人格の同一性」です。
二つの異なる時点で同じ人かどうか
簡潔に言うと月曜にPCで文章を入力していた人物と木曜に同じPCで文章を入力していた人が同一人物か。それを50年のスパンで見る。つまり50年前の自分は肌もつやつや、活気にあふれた20歳の青年。50年後の自分肌もシワシワ、疲れている80歳の老人。見た目はすっかり変わった。一見すると別人だ。しかし「人格」は同じ。だから同一人物だ、というものです。
そして人格とともに重要なのは脳。
そりゃそうだわねだからこそ死んだら終わり生き延びるとかないわよアータ
キャロの意見は正味な話このサイトの結論です
第6講は面白いのですがまとめるのが大変
魂説と身体説と人格説 それぞれの仮定
・魂説ー私が私であることを決めるのは「魂」であると仮定
・身体説ー私が私であることを決めるのは「身体(脳)」であると仮定
・人格説ー私が私であることを決めるのは「人格」であると仮定
第6講ではシェリー先生がこの3つの説を整理して終了
第7講 魂説、身体説、人格説-どの説を選ぶか?
私にしてみればけっきょく、「人格の同一性の身体説」と「人格の同一性の人格説」のどちらかを選ぶかということになる。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p302)
第7講はシェリー先生のどっちの哲学ショーみたいな感じ
生き延びられるかどうか。ここまでなんと385ページ!第7講も例によって自分の身体が蘇れば生き延びると言えるのか、また自分の人格が移植されればどうなのか。
この検証こそ哲学の醍醐味で本当に面白い
例えば、脳を分けて別々の人に移植とか、ナポレオンが時間ワームでニューヨークとミシガン州で復活したとしたらナポレオンはナポレオンなのかとか。
検証がクレイジーなんですよ
で、延々検証されたうえ…
この疑問
遂に決着ッッ!
今夜のご注文は
どっち⁈
「今の私」という人格抜きで生き延びることは、けっきょく無意味
それでもじつを言えば、私自身はこれらの可能性のどちらも信じていない。私は死んだ後に自分の身体が蘇るとも、自分の人格が移植されるとも思っていない。そのまったく逆で、死は本当に一巻の終わりだと思う。私の終わりであり、私の人格の終わりだ。それこそが、紛れのない事実のように思える。死ねばすべてが終わるのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p387)
第8講 死の本質
物理主義者の説に従ったとき、死ぬとはどういうことになるのか?今度はこの疑問に目を向けてみたい。そして、この疑問に迫るには、それと密接に関連した疑問について考えてみると良い。すなわち、人間はいつ死ぬのかという疑問だ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p388)
「身体の死」VS.「認知機能の喪失や脳の死」。第7講の続きになるのですが、たとえ人格を失った状態であっても身体機能が維持されていれば生きていることになるのか…など。
道徳的観点ともいえる
比較的ページ数も少なめの第8講。さあ、シェリー先生の見解は?
死とは何か―シェリー先生の哲学的回答
当然ながら、科学の観点から解明するべき詳細はたくさんあるかもしれない。だが、哲学の観点に立つと、ここでは何一つ謎めいたことは起こっていない。身体が作動し、それから壊れる。死とは、ただそれだけのことなのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p415)
第9講 当事者意識と孤独感-死を巡る2つの主張
第9講は死を巡る2つの主張についてです
第8講と第9講は第10講以降のイントロみたいな感じです。つまり一般的な「死」に関する見解に関して、シェリー先生がどう考えておられるか。検討内容も簡潔です。
主張①「誰もがみな、”自分が死ぬ”ことを本気で信じてはいない」
この2つの根拠に真っ向検討!
根拠①「死んでいる自分」を想像できないから
根拠②「自分の身体がいつか死ぬ」とは本当は信じていないから
まあ頭でわかっていても常に意識しているかって言われたらしていないですよね
根拠①「死んでいる自分」を想像できないから
(前略)自分のいない世界を外部から想像するのはわけもない。だから、信じるためには想像したり思い描いたりする必要が本当にあったとしても、私たちの誰もが、死んでいるところを簡単に想像できることに変わりはないのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p426)
根拠②「自分の身体がいつか死ぬ」とは本当は信じていないから
たしかに、死の瀬戸際まで行った人は、がらっと行動を変えることがよくあるようだ。一方で、普通私たちは、死の瀬戸際まで行った人のように振る舞わないという事実からは、自分がいずれ死ぬとは、根本的に信じていないかもしれないと考えるに足る理由がいくぶんかは得られる。ひょっとすると、自分は死を免れないという主張に口先では同意しても、心からそう信じていないと考えれば、説明がつくのかもしれない。私たちは「心底」は信じていないのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p433)
主張②「死ぬときは、けっきょく独り」
これこの主張のわずか4行でシェリー先生否定してます!
とはいえ私の見る限りでは、これは完全に間違っている。それどころか、この主張は検討に値するのかどうか、怪しく思えるほどだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p434)
しかしシェリー先生の娘さんが教えてくれたある歌詞をみて「この考え方がありとあらゆる場所で表明されている」と認識され、検討作業を始めた先生でしたが…
結論から言えば、私には、死と孤独感が不可分だとはとても思えない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p446)
不可分とは分けたり切り離すことができないという意味です
つまりシェリー先生は「私たちはみな独りで死ぬと、人はよく言うけれど、その主張はただの戯言だと思う」(引用:p448)
疎外感や孤独感のメタファー。これが先生の見解でしたが…
ここはね私如きが恐れ多いですが若干反論!
◇もうすっかり日本社会の問題になっている孤独死…これに関しては完全に「独り」ですよ先生。

第10講 死はなぜ悪いのか
形而上学的考察に関してはここまで。「死んだらもう存在しなくなる」
これがシェリー先生の結論
アータちょっとしつこいわよ何度も聞いているわアータ
「死」こそ一巻の終わりであり、そこで完全に終止符が打たれる。(中略)では、残りの講では何をするのか?そこでは価値論に目を向ける。(中略)たとえば、死は悪いと誰もが信じている。だが、なぜ死は悪いのか?どうして死が悪いということがありうるのか?
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p451)
第10講は面白かったですね。ここで得た知見はある意味最終回答だと思います。
それがこの剥奪説!
剝奪説~死の害悪あるいは悪さを説明する説
なぜ死は悪いのか?なぜなら、死んでしまったら、存在しなくなるからだ。そして、存在しないのは悪いとなぜ言えるかと問えば、答えは、人生における良いことの数々が味わえなくなるから、だ。もし自分が存在しなければ、生きて存在してさえいれば得られるものが得られなくなる。死が悪いのは、人生における良いことを奪うからなのだ。この説明は、今日では死の害悪あるいは悪さを説明する「剥奪」説として知られている。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p464)
「死が悪い」ということについての、シェリー先生の結論
死のどこが悪いのかといえば、それは、死んだら人生における良いことを享受できなくなる点で、それが最も肝心だ。死が私たちにとって悪いのは、私たちが死んでさえいなければ人生がもたらしてくれただろうものを享受できないからにほかならない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p500)
第11講 不死-可能だとしたらあなたは「不死」を手に入れたいか?
死は人生における良いことを剥奪するから悪いのであるなら、最も望ましいのは永遠に生きることなのだろうか?
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p501)
永遠に生きるったって毎日窓の外見てご飯食べての繰り返しじゃないのアータ
永遠の命=永遠の退屈。ポイントは自分で人生を終わらせることができない。
これはこれで結構きつい
最善の「生」とは?
というわけで、最善の形の人生は不死のものではないだろう。不死の人生というのは、少しも望ましくないだろうと思う。だが、最善の形の人生は、たった五〇年か八〇年か一〇〇年で終わってしまう、今の私たちの人生でもない。けっきょく最善なのは、自分が望むだけ生きられることではないかと思う。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p523)
第12講 死が教える「人生の価値」の測り方
第12講は○○主義者大集合祭り!
快楽主義者の主張
本質的に価値のある唯一のものは快感であり、本質的に悪い唯一のものは痛みだと仮定する見方を「快楽主義」というそうです。
もし痛みばかりの人生であれば死は悪くない
「今後やって来る良い時間をすべて足して、そこから悪い時間をすべて引いた答えが、プラスになるかマイナスになるか」を見れば良いというのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p529)
楽観主義者/悲観主義者/穏健派 それぞれの主張
楽観主義者
「人生は常に生きる価値がある。存在しないことに、いつでも勝る」
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p542)
悲観主義者
「私たちはみな、死んだほうがましだ。それどころか、誰にとっても、そもそもまったく生まれてこなかったほうが良かっただろう」
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p543)
穏健派
「一概には言えない。差し引きがプラスの人もいれば、マイナスの人もいる。そしてそれは、人生全体についても、人生の特定の時期についても当てはまる」
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p543)
シェリー先生は穏健派:「みないずれ死ぬ」は恩恵ーただし、問題は死が訪れる時期にある
とはいえ、どれほど意味があるかわからないが、私は穏健派に共感する。私たちの多くには、いや、ひょっとするとほとんどの人には、死があまりに早く訪れ過ぎるのは明らかだと思う。だが、全員にとってそうというわけではないだろう。悲惨なことに、人生を送るうちに、はなはだしく体が不自由になったり、健康が損なわれたり、痛みに苦しめられたりし(回復の現実的な見通しがまったくなく)、生き続けても何の恩恵も得られないように見えるところまで至る人もいる。どれほどありふれているのか、あるいは稀なのかにかかわらず、そのようなケースでは、実際、死が早く訪れ過ぎるということはない。ぞっとするほど遅い場合も、現にあるのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p551)
なによ穏健派って一番無難じゃない先生アータ
第13講 私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
1「死は絶対に避けられない」という事実を巡る考察
この望ましくないことが自分だけに当てはまるのではないと気づけば、いくぶん慰められる(そうではないか?)。この世界が自分だけを狙い撃ちにして、あまりに早過ぎる死を見舞ったわけではないのだ。世界はほとんど誰に対してもそうする。その事実には多少の慰めがあるかもしれない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p556)
2 なぜ「寿命」は、平等に与えられないのか
この2と3と4と5の
言わば、釣銭を少なく渡されるほうが、多く渡されるときよりも、私たちは気になる。何かを平均よりも少ない量しか持っていない人が傷つく度合いは、平均よりも多い量を持っている人が得をする度合いよりも大きいのではないかと思う。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p558)
3「自分に残された時間」を誰も知りえない問題
ここでは予測不能性という表現が出てきます
予想より早く死ぬ。そのことで人生の計画が台無しになる。一方で、死ぬだろうと思っていた歳になっても死なない場合もある。
4 人生の「形」が幸福度に与える影響
こうした点を考えることによって私が事実上主張しているのは、人生の全体としての価値は、これまでまだ検討してこなかった特徴に影響されうるということだ。それは、人生の全体的な形は重要だと言う風に言い直しても良い。少しばかり違う言葉を使って同じ考えを表せば、人生の「浮き沈み」がその全体的価値を変えうると言えるだろう。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p561)
「寿命」が平等でないうえに、人生の最後は予測不能性により不透明です。この考察にさらに、人生の「形」をプラスして考えます。たとえば幼い頃貧しかった人が大人になって大金持ちになる。一方、幼少期は裕福だったが、大人になり転落人生を歩むことになる。人生の総量が同じでも、幸不幸に分かれる。
自分に残された時間がどれだけあるかをたいてい知らないという事実について考えたとき、それが私たちの直面する種類の疑問なのだ。それは、死の悪さを募らせるのか、それとも、それをいくぶん減らしてくれるのか?
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p568)
5 突発的に起こりうる死との向き合い方
ここへきて怒涛の「死」の類型ラッシュ!
死については、さらに別の特徴もある。必然性とばらつきと予測不能性に加え、私に言わせれば、死には遍在性が伴う。これは、私たちの周りじゅうで人が死んでいるという事実だけを指しているわけではない。むしろ、私たち自身がいつ死んでもおかしくないということだ。(中略)これには予測不能性以上のものがある。自分がいつ死ぬかわからないという事実には、いついかなるときにも死ぬ可能性があることまでは含まれていない。だが実際には、それもまた私たち全員に当てはまるのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p569)
6 生と死の組み合わせによる相互作用
死について検討したい面がもう一つある。死は生の後に来るという事実だ。これはおそらく、人間の境遇にまつわる根本的な事実だ。私たちは生きるだけでもなければ、ある時点で存在しなくなるだけでもない。人間とは、生き、それから死ぬものなのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p574)
最終的に「君たちはどう生きるか」に辿り着いたわねアータ
まず、これまで私が並び立ててきた、死にまつわるさまざまな事実に照らすと、私たちはどう生きるべきかという、より一般的な疑問を投げかける必要があると思う。実際、私たちの生き方は死に影響されるべきかどうかも問う必要がある。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p582)
◇日本発!この国の哲学はここにある!👇

それが次の第14講のテーマになります
第14講「死」に直面しながら生きる
いずれ死ぬという事実は、私たちの生き方にどんな影響を与えるだろうか?(中略)原理上はけっきょく、どんな事実の組み合わせに対しても、否定する、対応する、無視する、の三つの異なる反応がある。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p583)
私は無視するね
そんなの無視無視!
それならばここからは、死についての事実を無視するという選択肢は、それほど知的に立派なものではないことがわかるだろう。ひょっとしたら、死の本質について私が主張してきたことを否定するか、あるいは、その主張が本当に正しいと仮定して先に進み、その主張に照らして、どう生きるべきかを問うかの、どちらかなのかもしれない。事実を無視するというのは、知的に許容できる選択肢としては受け止めようのないものなのかもしれない。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p589)
無視するの
バカだって
そんな人生で、あなたは何をするべきか
申し訳ないが、ここでその疑問に答えようとするつもりはない。人生で本当に追求する価値のあるものは何かと問えば、人生の意義は何かと問う寸前まで行くことになる。どんな目標、どんな目的、どんな志が最も価値があり、最も取り組み甲斐があり、最も意義深いか?これは明らかに重要な疑問だ。いや、それどころかひょっとすると最も重要な疑問かもしれない。だがそれは、別の本にふさわしい疑問だと思う。だから、それに触れる疑問の十分近くまで来たところで、今度はそこからゆっくり引き下がることにする。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p628~629)
死についての講義ですからどう生きるかは別の問題なんですよね
第15講 自殺
いやあ第11講以降具体的な検討が多かったので展開が早かったですね
形而上学的な検討は抽象的だからね
とかいってあんたたち疲れたから編集を適当にまとめてないアータ?
前講で私は、人はいつか必ず死ぬという事実が、私たちの生き方にどのような影響を与えるべきかを問うた。考えられるさまざまな提案について考察したが、まだ俎上に載せていない選択肢が一つある。「自殺」だ。私たちはいずれ死ぬ運命にある以上、自らの人生を終わらせるという道も開かれているのだ。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p647)
自殺なんてダメだよ生きようよみんな!
自殺の道徳性に関するシェリー先生の結論
相手がよく考え、妥当な理由を持ち、必要な情報を得ていて、自分の意思で行動していることを確信できたとしよう。そんなケースでは、その人が自殺することは正当であり、本人の思うようにさせることも正当だと思える。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p724)
意外と先生
ドライだな
Present for you💐 ~揺さぶるフレーズ
死についての最終講義 これからを生きる君たちへ
それに、私たちがあまりに早く死んでしまう可能性が高いことはたしかに悲しみうるが、私たちがこれまで生きてきたのはまさに信じられないほど幸運であることに気づけば、その悲しみの感情は相殺されてしかるべきかもしれない。同時に生きてこられたのは幸運だったと気づいても、生き続けるほうが必ず幸せだということにはならない。残念ながら、生きているほうが良いとは、もう言えなくなる時を迎える人もいる。そしてそうなったら、人生は何が何でも、いかなる状況下でもしがみついていなければならないものだとは言えない。手放すべき時が来るかもしれない。だから、私は本書を通じて、生と死にまつわる事実について自ら考えるように読者のみなさんを促してきた。だがそれ以上に、恐れたり幻想を抱いたりせずに死に向き合うよう促してきたのだ。本書を通して、みなさんがそれぞれ死と向き合ってくれたら、私にとって幸せなことである。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p728)
Thank you! ~55秒解決!
今回の【55秒解決】
「イェール大学で23年連続の人気講義だけあって面白かった」
小学生みたいな感想言うな
Let’s try it! ~いまからできること
①いつ死ぬか分からないから後悔しないようにお酒を飲む!
②いつ死ぬか分からないから後悔しないように肉を食べる!
③いつ死ぬか分からないから仕事は超適当にする!


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