この記事は『バカの壁』『死の壁』を読み、脳科学者から見た「死」の見解に触れ、死に対する考えを深めていくことを試みたものです。
この記事 こんな思いで書いています
この書評は、本の内容を整理するだけでなく、
中年期に感じる行き詰まりをどう越えるか
という視点で書いています。
※本の要点を先に知りたい方は、途中の見出しから読めます。
※ここからは、個人的な実感や迷いも含めて書いています。
Help me! ~いやあ、しんどいなあ
今回のお悩み:
「日本人の知識人による死とはなにかに関する知見に触れたい」
じゃこれでしょ
Who are you? ~どんな内容?
今回は2冊!
130ならびに131冊目はこちら!『バカの壁』(新潮社 2003年4月10日)そして『死の壁』(新潮社 2004年4月15日)でございます。
すごいタイトルですね
これは私の話を、新潮社の編集部の人たちが文章化してくれた本です。対談や講演を文章化するのは、よくやることです。でも独白を続けて、それを文章にしてもらったのは、じつはこれがはじめてです。話している間は、なんとなく警察の取り調べを受けているような感じもしましたが、内容は確かに自分が話したことです。それを他人に文章化してもらうと、こうなるのか、とあらためて思いました。自分の文章ともいえるし、他人の文章のようでもある。これが奇妙な効果を生じているように感じます。いってみれば、この本は私にとって一種の実験なのです。
引用:『バカの壁』(p3)
なぜ人はわかりあえないか?話せばわかるなんて大うそだ。なぜならそこに「バカの壁」が立ちふさがっているからである!人生でぶつかる諸問題について様々な角度から考えるヒント満載!
そのような内容です
続いて『死の壁』
逃げず、恐れず、考えた
最終回答。
引用:『死の壁』(表紙帯)
人は必ず死ぬ。死なない人はいない。誰もが通る道ながら目をそむけてしまう「死」の問題。我々は「死」といかに向き合うべきか。「死」にまつわるさまざまなテーマを通じて現代人が生きていく知恵を養老氏が教えてくれる!
そのような内容です
養老先生のご紹介
著者は養老孟司氏。1937年11月11日、神奈川県鎌倉市生まれ。医師・医学者・解剖学者として知られ、東京大学名誉教授を務められました。東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院で研修医を経験されましたが、医師として患者と接することに限界を感じられ、解剖学の道へ。1967年、東京大学大学院医学系研究科博士課程を修了し、医学博士を取得。1981年に東京大学医学部教授となり、1995年に退官。2003年の『バカの壁』は社会現象ともいえる大ヒット。大の昆虫好きとして知られ、膨大な昆虫標本を収集する一方、都市化や自然環境、現代社会についても鋭く発言。医学者でありながら、専門の枠を超えて「人間とは何か」を考え続けてきた現代日本が誇る知識人。
ところで今回はなんで2冊なの?
2026年夏は「死」をテーマに記事を書いております
第1弾は哲学者による「死」の考察、第2弾は「死」に関する日本の小説ならびにその解説。第3弾として解剖学者による「死」の知見を企画し、養老孟司氏の『死の壁』を取り上げようと思ったのですが、養老氏が『死の壁』あとがきにて…
この本は『バカの壁』の続きみたいなものです。
引用:『死の壁』(P190 )
というわけで『バカの壁』もピックアップすることにしました
ただ今回はテーマにのっとって『死の壁』をメインとし、理解を深めるために『バカの壁』を読むという形にします!
夏は「死」の季節!

どこか物憂げな季節である
夏は、生命がもっとも激しく燃える季節です。蝉は鳴き、草木は茂り、太陽は容赦なく地上を照らす。けれど、その強烈な「生」の只中で、日本人は死者を思い出します。お盆には先祖の魂を迎え、そして静かに送り出す。風鈴の音を耳にしながら、もう戻らない人を想う。生と死は遠いものではありません。夏という季節は、その二つが最も近づく時間なのかもしれない。だから日本の夏には、どこか懐かしく、少し寂しい風が吹いている。
寂しくなんかないわよほぼ熱風もしくは台風じゃないアータ
ということで、「死」を様々な角度から検証します!
◇第1弾! そのままズバリ『「死」とは何か』!イェール大学で23年連続の人気講義!

◇第2弾! 別れと旅立ちを「死」で表現した、昭和晩年の名作!

人生の最終回答?
『バカの壁』とは?
バカの壁ってなあに?
簡単に言うと、自分の脳に入る事しか理解できない、自分が興味が無いものを無意識に遮断する、この時に出現しているもの。
例えばです
本書では数学を例に挙げられていましたが、わかる人にはわかるが、わからない人にはまったくわからない。養老氏はこれを「あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは、当然のことです。」(引用:P4)
つまり努力不足とか能力がないとか卑下する必要などない
わからないものはわからないのだからしかたがない
「バカの壁」は誰にもある。そう思うと気が楽になる。
一方で。
私は最近「バカの壁」の向こうにはロマンがあると言うようにしています。壁があることは仕方がありません。それで諦めがついて気が楽になることがあります。その一方で、何かの拍子、たとえば経験や学問などによって壁が壊れることもあります。そのときに、向こう側にこれまで見たことがないような新しい世界が広がっているかもしれません。それはロマンではないでしょうか。
引用:『死の壁』(P12 )
壁というのは脳における「個人が生まれ持った素質」
まとめます。
学問に触れる。感覚として「ああなるほどね」「はいはいわかります」みたいな感じでスルスル頭に入る人はその時点では壁がない。ただ突き詰めていくとだいたい発生する。
それでも出てこなければいっそのこと学者になればいい
他方、「えーみんなよくわかるなわかんねえよ」みたいな状況であれば、すでに「バカの壁」が出現しているかもしれない。
そう考えると文系理系という括りはかなりありがたい救済措置だなあ
要は向き不向きってことよねアータ
向き不向きは関係ない!
前向きになれ!
THE無能な上司
まあ社会人であれば、ああこれが「バカの壁」か、と終わらせてしまってもよいですよね。
シャカイジンいいな
シャカイジンになりたいな
人生の問題に正解はない?
まずこの一節をお読みください
人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけです。私はそう思っています。でもいまの学校で学ぶと一つの問題に正解が一つというのが当然になっています。本当にそうか、よく考えてもらいたい。
引用:『バカの壁』(p5)
その答えを求める行為それ自体に意味がある、ということも書いた(引用:『死の壁』(p11)
「何がわかるかわかっていたら、調べても仕方がないでしょう。わからないから面白いんじゃないでしょうか」
引用:『死の壁』(p12)
でも世間の皆様の意見もわかります。答えはおまえが見つけるんだ!とか答えは風に吹かれている、なんてものはそこらへんの国会議員でも言えますからね。
そうではない。
人は強いられることを嫌う一方で、どこか「これが答えだ!はい終わり!」ってものを求めている。それも皆がしている、実績のある有名人のものを。
しょうがないそれならそれに従うかみたいな思考停止状態のほうが楽ですから
ただし、人生でただ一つ確実なことがあります。
引用:『死の壁』(p13)
人生の最終回答は「死ぬこと」だということです。
これだけは間違いない。過去に死ななかった人はいません。
人間の致死率は100%なのです。
ということで「ただ一つ確実なもの」についてこれから考えていきましょう
その前に!
養老氏は『バカの壁』でこのようにお話されています。
この本の中身も、世間のいう正解とは違った解をいくつも挙げていると思います。でもこの本の中身のように考えながら、ともかく私は還暦を過ぎるまで生きてきました。だからそういう答えもあるのかと思っていただければ、それで著者としては幸福です。もちろん皆さんの答えがまた私の答えとは違ったものであることを期待しているのです。
引用:『バカの壁』(p5)
「養老先生の考え方にはちょっと賛同できないなあ」という意見が果たして出て来るのか?
「バカの壁」=一元論
一元論とは世界のすべての出来事は一つの原理から成り立つという考え方です
たとえばキリスト教、イスラム教、ユダヤ教等宗教は一元論。
自分たちの考えが絶対だから相手を攻撃するわけねアータ
バカの壁というのは、ある種、一元論に起因するという面があるわけです。バカにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。
引用:『バカの壁』(p194)
かたや二元論は相反する2つの原理
◇俺か、俺以外か。究極の二元論!それは唯一無二の言葉の芸術だった!

養老氏がおっしゃいたかったこと…それはこれです
安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真実がある」などと思ってしまう姿勢、そこから一元論に落ちていくのは、すぐです。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向う側の古都、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです。
引用:『バカの壁』(p204)
意見の押しつけもまた「バカの壁」の影響ってことねアータ
自分の壁がどこまで壊せるか
ここまで「バカの壁」をまとめてきました
こちらを踏まえて、テーマである「死」について、壁を意識して考えていきます。ここからは養老氏の「死への回答」に対して私自身の壁が壊れるのか否か、確認していきます。
私の壁が「100」→これが「0」になったら新たな知見を手に入れたことになります!
もしよろしければみなさまもそのような視点でお楽しみいただければと思います!
今回は私が壁破壊中ポイント担当ね
それではスタート!
『死の壁』
ここから「死」にまつわるエトセトラに対しての養老先生の御見解を紹介します!
なぜ人を殺してはいけないのか
警察に捕まるから?
養老氏は昔のお坊さんのほうがよほど簡単に答えることが出来たはず、とおっしゃっています。
それがこちら!
「そんなもの、殺したら二度と作れねえよ」と。「蠅だってどういうわけか知らないけれど現にいるんだ。それを無闇に壊したら取り返しがつかないでしょう」ということなのです。
引用:『死の壁』(p22~23)
自分たちが出来ないことには畏怖の念をもつべきだ。その反面、牛や豚、魚の命をいただいていることについて、自分たちは罪深い存在であるという思いは持っているべきだ、ともお話されています。
ちょっと待ったあ!

自分がもとに戻すことが出来ないものを壊してはいけない…この考え方も面白かったのですが、やはり私はこちらの本にあった「剝奪説~死の害悪あるいは悪さを説明する説」を起因に「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えにしたい。
なぜ死は悪いのか?なぜなら、死んでしまったら、存在しなくなるからだ。そして、存在しないのは悪いとなぜ言えるかと問えば、答えは、人生における良いことの数々が味わえなくなるから、だ。もし自分が存在しなければ、生きて存在してさえいれば得られるものが得られなくなる。死が悪いのは、人生における良いことを奪うからなのだ。この説明は、今日では死の害悪あるいは悪さを説明する「剥奪」説として知られている。
引用:『DEATH イェール大学で23年連続の人気講義 「死」とは何か〚完全翻訳版〛』(p464)
相手が今後も生きていれば経験するであろう楽しみを奪うことは決して許されない
とはいえ養老氏の考えも参考になりました!
壁破壊中!
30/100
死体とは何か
死の定義は難しい。ただ今の日本で明確に言えるのは、「生死の境」は死亡診断書にしか存在していない。逆に死体は物体として存在している。だから客観的、という考えです。
ここからの養老先生の死体の人称が面白い
1人称の死体
1人称はI。つまり「私の死体」。養老氏はこの死体を「ない死体」と表現します。つまり私の死体を私が見ることができない。なぜならば私はもう死んでいるから。
極端に言えば、自分にとって死は無いという言い方が出来るのです。そうすると「(自分の)死とは何か」というのは、理屈の上だけで発生した問題、悩みと言えるかもしれません。
引用:『死の壁』(p166)
このあとの話も興味深い!
これは「口」と似ています。「口」とは何かというと、実は実体がない。そんな馬鹿なと思われるかもしれませんが、実際に解剖学の用語からは削られてしまっています。少し考えればおわかりいただけるはずです。たとえば唇は存在しています。それを指せばそこにあります。舌も存在しています。では唇でも舌でもない「口」はどこにあるのか。それは穴でしかない。実体がないのです。
引用:『死の壁』(p166)
実体がないからかんがえてもしょうがないなんて楽観的ねアータ
2人称の死体
2人称はYou。ここでいうYouは「親しいあなた」。つまり親しい人の死体は悲しみが先行し、一般的な印象である、怖いとか恐ろしいといった感情は消える。死体には見えない。それが「死体でない死体」ということです。
たとえば、道を歩いていたら交通事故があったらしい。倒れている人がいる。どうも事故死者が出たらしい。遠くで見る分には、それはただの死体でしかない。「気の毒に」と思うか「気持ち悪い」と思うかはともかく、それは他人の死体でしかないのです。が、近くに寄ってみたら自分の身内だとわかった。その途端に、どんなに相手の反応がなかろうと、抱き上げたり声をかけたりするでしょう。
引用:『死の壁』(p79~80)
悲しみなどの感情を伴う死体はこの2人称の死体というわけです
3人称の死体
3人称はHe、She、あるいはIt。ここで亡くなっているのは第三者。アカの他人。「死体である死体」。これが私たちにとって、いわゆる「死体」として認識するものです。
交番に貼ってある「昨日の交通事故死者一名」というのは、要するにアカの他人が一名亡くなりましということを言っているわけです。
引用:『死の壁』(p82)
なぜ死体の人称なんて思いついたの?
「死体をどう捉えるべきかを考えた末のことです」(引用:P84)
養老氏は解剖学の権威。死体をどう考えるか。こういった機会がない私たちには抱くこともない疑問に関する答え。それがこの死体の人称なのでしょう。
ここでは1人称の死体がポイント。私の死体を私が見ることができない。だから私の死体は(私が生きている限り)存在しない。だから自分にとって死は無い。この考え方は非常に斬新!
壁破壊中!
65/100
死体は仲間はずれ
死体は人間じゃないと言う考え方が世間のルール
清めの塩
大抵の人は、受付でもらった塩を自宅に入るまえに身体にふりかけるでしょう。ではなぜ、身体を清めなくてはいけないのか。それは死んだら最後、相手に対して手のひらを返している証拠ではないでしょうか。相手を「穢れ」として見ているからこそ、清めなくてはいけないのです。
引用:『死の壁』(p88)
死を自分から遠ざけたいという意識=穢れ
なぜ戒名は必要か
戒名もまた「もう仲間じゃないですから」というルール
戒名をつけてもらうということは、ありがたいことのようですが、要は、もうこれまでの名前では呼びません、ということです。戒名をつけられない人でも、同じように戒名を余儀なくされます。○○居士とか何とか呼ばれる代わりに「ホトケ」と呼ばれたり「土座衛門」と呼ばれたりするようにまるだけのことです。そこで死者は差別されてしまっているのです。はっきりしているのは世間という円から出されてしまうということです。
引用:『死の壁』(p89)
しかもお金を払うんでしょバカね人間はアータ
てっきり当たり前だと思っていたことをあらためて考えさせられました。
私は戒名いらないな
今の名前のままがいい
壁破壊中!
75/100
安楽死
社会の枠組みやルール等で片付けられない問題はありますが安楽死はそれに類するものです
タテマエからすれば、医療行為の前提には「人命尊重」「人助け」ということがあります。それをお題目にとにかく徹底的に医療行為をする。実はそれはそのまま経済行為にも繋がっている。そして医療行為が無限に肥大すると、そこからこぼれ落ちてしまう、ゴミ溜めに落ちてしまう問題も出てくる。その一つが安楽死問題です。なぜなら、どこまでも患者を助けようとする現代の医療は、突き詰めれば「人間は死なない」という前提でやっているのと変らないことになるからです。「人は死ぬものだ」という前提を落としてしまっている。すると死について正面から考えるのは難しくなる。
引用:『死の壁』(p158)
人を死なす医療ということねアータ
医者が安楽死にかかわるということにも同様の責任、重荷が付いて回るはずです。五年以上前に、オランダの医師と対談をしたことがありました。オランダはご存じの通り、安楽死が合法化されており、その医師はそれを行っていました。彼の現在の心境には非常に興味があります。おそらくまともな医者であれば、安楽死にかかわり続けることで何らかの変化があったのではないかと思うからです。
引用:『死の壁』(p139)
近日中にこの本を取り上げます!
お楽しみに!
安楽死が選択できるのは一種の救いのように感じますが…この問題は『安楽死を遂げるまで』で考えていきます!
壁破壊中!
78/100
Present for you💐 ~揺さぶるフレーズ
「死んだら仕方がない」
養老先生の最終見解!
死というのは勝手に訪れてくるのであって、自分がどうこうするようなものではない、それを考えるのは猿知恵で良くないと思っているのです。きっときちんと考える人もいるのでしょう。しかし私はそうではない。だから自分の死に方については私は考えないのです。
無駄だからです。
自分が死んだらどうなるかなんて「口はどこにあるのか」みたいなことで悩む必要はないのです。それよりは、周囲の死について考えた方がよいのです。
引用:『死の壁』(p168~169)

◇(人には)認知限界がある、悲しみを味わい切った後に理解し合うことは無いと思っちゃうという考え。

なによ養老先生と益田先生同じようなこと言ってるじゃないのアータ
壁 崩壊!
100/100
Thank you! ~55秒解決!
【今回の55秒解決!】
「考えても仕方がない、と思うと確かに楽になるということを学んだ」
そんなこと考えている暇があったらゲージ掃除して!
Let’s try it! ~いまからできること
①人を殺さない
②戒名はいらない
③死んだら仕方がないのだから考えない
シンプルだけど深いなあ


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