この記事は『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』という本をきっかけに、目の前の現実をどう受け入れ、どう消化していったのか、その対処方法をまとめたものです。
この記事 こんな思いで書いています
この記事は、内容の要約よりも、
立ち止まった時期に、この本から何を
受け取ったかを中心に書いています。
※本の要点を先に知りたい方は、途中の見出しから読めます。
※ここからは、個人的な実感や迷いも含めて書いています。
Help me! ~いやあ、しんどいなあ
今回のお悩み:
「突然の部署移動。自分はもうこの組織で用済みなのかな…」
どう考えるかは自分次第
Who are you? ~どんな内容?
108冊目はこちら!『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(角川ザテレビジョン、2007年4月27日)でございます。
TBSテレビ「バース・デイ」・編。
テレビ番組の取材をテキスト化したものです
『プロ野球戦力外通告』という企画は、1999年に始まった「ZONE」というスポーツドキュメンタリーの番組で始まり、2004年の「ZONE」終了後も、スペシャル番組『プロ野球戦力外通告 ~クビを宣告された男たち』として、また2005年4月にスタートした「バース・デイ」(毎週木曜深夜0時55分~)という、番組の中で、放送を続けてきました。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p4)
戦力外通告を受けたプロ野球選手に密着する番組です
再起を目指してトライアウトに挑む姿や、引退か現役続行かの葛藤、選手を支える家族の思いまでを描く。番組は毎年年末に放送され、崖っぷちに立つ選手たちのリアルな人生ドラマが大きな反響を呼んできた。
本書はそんな長い間、視聴者に高い支持を得ている人気企画の初期に密着した選手たちの記録です。
ある日突然「職」を失ったプロ野球選手たちの「生きざま」を追ったノンフィクション「人間ドラマ」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(表紙帯)
2026 WORLD BASEBALL CLASSIC™ New rule!
日本負けたわねアータ

ピッチャー良かったベネズエラ!
大谷選手で終わるというのが印象的でした。
そんなWorld Baseball Classicですが…
今大会は新ルールが導入
こちらのサイトを参考に分かりやすくまとめます。

2026年WBCのルールは、MLBのトレンドを取り入れた「スピード感」と、従来からの「選手保護」が融合しています。
- ピッチクロックによるテンポの良い攻防
- 球数制限による継投の綾
- タイブレークによる延長戦のスリル
これらのルールを頭に入れておけば、一球一球の重みがより深く理解できるはずです。世界一奪還を目指す侍ジャパンの戦いを、新ルールと共に楽しみ尽くしましょう!
引用:【WBC 2026】新ルール完全網羅!ピッチクロック導入や“大谷ルール”の動向も徹底解説 | スポーツ総合 | ABEMA TIMES | アベマタイムズ
ピッチクロック
今大会から「ピッチクロック」が導入。投手はボールを受け取ってから、走者なし15秒、走者あり18秒以内に投球動作へ入る必要がある。違反すると投手には1ボール。打者も残り8秒までに構えなければ1ストライクとなり、試合の行方を左右する可能性がある。
なに?みんなおしっこ
我慢してるわけ?
済ませてるちゃんと!
ベースサイズ拡張と牽制回数の新ルール
ベースは一辺15インチから18インチに拡大され、塁間が約11cm短縮。盗塁成功率の向上やクロスプレー時の怪我防止を意図。さらに投手の牽制は打者1人につき2回まで。3回目で走者をアウトにできなければボークとなり進塁となるため、機動力を使うチームにはチャンスが広がる。
周東だらけの野球大会
それ浜省のやつ
試合の行方を握る「球数制限」と「登板間隔」
投手の肩を守るため「球数制限」が設けられている。球数上限は第1次ラウンド65球、準々決勝80球、準決勝・決勝95球。上限に達しても、その打者の打席が終わるまでは投球可能。さらに50球以上は中4日、30球以上は中1日、連投も中1日の休養が必要。このため各国はロングリリーフなど投手起用の戦略が重要になる。
そんなに公式戦が大事なのか
生々しい言い方すんな
ビデオ判定(チャレンジ)の回数と対象プレー
審判の判定に対してビデオ判定(チャレンジ)を求めることができる。各チームは1試合につき2回まで申請可能で、判定が覆ればその権利は消費されず再び使える。延長戦に入った場合は、これとは別に1回のチャレンジ権が追加される。ただしストライク・ボールの判定は対象外で、ホームランかファウルか、アウトかセーフかなど重要なプレーで主に用いられる
散歩の時間が短い
よしビデオ判定だ!
どの場面をみるんだよ
ところでアータこのルール解説は何か意図しているわけアータ?
そうなんです
プロスポーツは客商売でもあるわけで…
World Baseball Classicでは大会期間が短く、各国代表の投手の多くが本来は球団に所属する「球団の資産」です。過度な登板で故障させないため、各国球団との合意のもと厳格な球数制限と休養ルールが設けられています。
競技と興行の両面を持つスポーツならではの取り決めねアータ
一方、日本プロ野球には、World Baseball Classicのような公式の球数制限や登板間隔のルールはありません。ただし投手の肩や肘を守るため、各球団が独自に管理しています。一般的に先発投手は100〜120球前後で交代し、中4日〜中6日のローテーションで登板。救援投手も連投を避けるなど、監督やコーチの判断で運用されているそうです。
つまりWBCはこれだけ選手の体調管理に神経質になっている
理由は簡単。選手は体が資本。もし怪我をしたら本来のパフォーマンスが出来なくなる。そうなればもう選手として価値がなくなる。大会を継続させるため。厳格なルールを定め、本来のチームへお返しする。
これ、つまり、選手の体って一般の皆様が思っている以上に繊細なんだって証明なんです。
でも本来契約している球団は戦力としてお金を払っている
だから時として勝利のためには無理をさせるわけねアータ
そして故障する。
本来の力が発揮できなくなり、チームの成績も落ちる。
やがて代わりの選手が台頭する。
ポジションは一つ。
レギュラーは奪われ、出場機会は減少していく。
チームが勝つこと。プロスポーツは勝利至上主義。
あの選手の来年の契約どうする?ってなるわけねアータ
そして戦力外へ
ところで戦力外ってなあに?
今までの流れでだいたい
わかるでしょもう!
日本のプロ野球に
限定して説明します
戦力外通告とは、球団が選手に対し「来季の戦力構想に入っていない」と伝えることを指します。契約更新を行わない、または見直す可能性を示す意味を持ち、通告された選手は多くの場合自由契約となります。
UNIQLO着ちゃダメみたいな?
それはGU契約…
ってないよそんな契約!
自由契約とは、球団と選手の契約が終了し、どのチームとも自由に契約できる状態を指します。日本プロ野球では契約更新されない選手が公示され、他球団への移籍や海外挑戦など進路を自分で選べるようになります。
契約終了=戦力外通告
通告理由は成績低迷、怪我、年齢、チーム編成など様々で、他球団への移籍機会を確保する目的でシーズン終了後に行われることが多いそうです。
より具体的な時期が
知りたいわアータ
主に2つの時期に分けて行われるようです。第1次は二軍全日程終了後からクライマックスシリーズ開幕前まで、第2次はCS終了翌日から10月30日まで。育成選手は10月31日まで通告が可能。通告後も契約期間中は試合出場できるが、通常はチームを離れます。現役続行を希望する選手は12球団合同トライアウトに参加し、移籍先を探す道が開かれる。
ところでWBCはなんで
球数制限があったの?
肩や肘は消耗品。よく聞く言葉です。
しかし実際こういう
指摘もあります
野球の投手の肩が「消耗品」と言われる理由の一つは、肩関節の構造にあるそうです。肩の周囲には表面のアウターマッスルと、奥で関節を支えるインナーマッスルという二重の筋肉構造があります。特にインナーマッスルは肩を安定させる重要な役割を担っており、ここが弱いと負担が集中して故障を起こしやすくなる。そのため近年、プロ野球選手も、肩を守るためインナーマッスルの強化トレーニングを重視されているそうです。
トレーニング方法も日々進化
しているわけです
もちろんスポーツ医学も、基礎体力向上からメンタル面のフォローに至るまで、選手のベストパフォーマンスを引き出すため常に研究されている。
その割には戦力外プレーヤーには
何だか冷たい
それがプロの世界。そう言ってしまうのはたやすいですが、そこに人生の悲哀を感じるわけでして。
今回わんちゃら!は本書に紹介されている選手たちの「戦力外通告その瞬間」「なぜ戦力外になったのか」「どう受け入れていったのか」この3点をまとめました。
ちなみにトレードも戦力外と
カウントします
このブログの読者の皆様に、なにかが残って下されば嬉しいです。
プロ野球を「クビ」になった男たち
第一章 大越 基 :自分の意思で考え、最良の道を選んできた
お一人目は大越基氏。1971年生まれ。宮城県出身の元プロ野球選手。仙台育英で甲子園準優勝のエースとなり、1992年ドラフト1位で福岡ダイエーに入団。当初は投手だったが故障などで外野手へ転向し、俊足と強肩を生かして守備・代走で活躍した。引退後は教員となり高校野球監督を務め、2025年から福岡ソフトバンクホークス四軍監督に就任。

「戦力外通告その瞬間」
1999年、11年目のシーズン。一連のプレーに関してコーチと口論。トレードを志願するよう勧めてくるコーチ。そして月日は流れ2003年。
この間も首脳陣とギクシャク
所属していたソフトバンクが3年ぶり日本一!ホークスは確実に常勝軍団に変貌を遂げる。歓喜の輪に大越氏もいた。「なんだ、大丈夫じゃん、来年もできる」
数日後、球団から言われた。「戦力外です」と。
「こういうことかぁってね(苦笑)。でも内心では『やっぱりな』とも思っていたんですよ。まあ、ひどいですよね」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p32)
当時32歳
「なぜ戦力外になったのか」
大越選手は怪我と性格
身勝手、と本書にあるように早稲田大学野球部の精神論的な練習が嫌で退部し、その後退学して渡米し野球を続けるなど、人に頼らず自分で決められるタイプ。
1年目から怪我に悩まされ、プロ7年目からは投手から野手へ転向。投手心理を読み深めに守りファインプレーを演出するなど、外野でも存在感を発揮するも、元々の性格によるものか首脳陣と衝突。
「どう受け入れていったのか」
受容度95%
トライアウトに挑戦。結果は不合格。内心では「自分はダメかもしれない」と割り切っていたような気がする、と大越氏は述べられています。その後御自身で、高校野球の指導者になろう、と決断。
これから、また言われるかもしれない。それでも、高校時代の恩師・竹田利秋先生からの言葉を忘れずに教師人生を歩んでいくつもりだ。
「大越、イエスマンにだけはなるなよ。自分の意思を伝えなさい。そうしていかないと、世の中では通用しないし、なにより、大越基という人間が確立できないから」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p40)
大越選手はこの言葉があったので
次に行けたのかもしれない
第二章 田中 一徳 :「松坂世代」の苦悩。でも、ポジティブに、堅実に、生きる
お2人目は田中一徳氏。1981年生まれ。兵庫県尼崎市出身の元プロ野球外野手。PL学園高校野球部では1998年夏の甲子園で松坂大輔から4安打を放ち注目され、1999年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団。俊足を武器に2002年は112試合出場。2006年戦力外後は米独立リーグでもプレーし引退。引退後は指導者となり、高校や大学でコーチ・教員として野球指導に携わっている。
「戦力外通告その瞬間」
「おい、ちょっと来てくれないか」当時所属していたのは横浜ベイスターズ。2006年9月29日の、読売巨人軍との試合終了後、球団職員が解雇を通達。
「詳しいことは明日、また伝えるから」球団職員の言葉は事務的だった。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p71)
当時25歳
「なぜ戦力外になったのか」
田中選手は環境
横浜での7年間、経営陣はチーム編成の名目で監督を権藤博氏、森 祇晶氏、山下大輔氏、牛島和彦氏と次々と変えた。監督が変れば戦術も変わる。環境にあわせ、そつなくこなしていたところが成長を止めてしまった。その結果、チームの必要な選手ではなくなっていった。
「どう受け入れていったのか」
受容度95%
「両親に相談したことって、あんまりないんですよね。プロ野球に入るときもそうだし、高校を決めるときも。自分の意見を押し通してきた方なんです」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p56)
こうやってみると自己決断=受入れ度が高いわねアータ
第三章 橋本 清 :迷いが生じたときほど分かる、家族の大切さ
続いては橋本清氏。1969年生まれ。大阪府出身の元プロ野球投手・スポーツライター。PL学園高校野球部で野村弘樹らとともに1987年春夏甲子園連覇に貢献し、同年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1993年に中継ぎとして活躍し優勝に貢献したが、右肘手術など故障に苦しみ2001年に引退。引退後は解説者やライターとして活動。

「戦力外通告その瞬間」
読売巨人軍時代
2000年、読売巨人軍と福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ終了後の翌日。「選手寮まで訪ねるように」簡単なメモ書きをサブマネージャーから渡された橋本氏。
選手寮では球団側に対し、文句も言わなければ理由も尋ねず、ただ感謝の言葉を発したのみ。初めての経験となった戦力外通告は、橋本も球団側も、お互い挨拶をするかのように数分の形式だけの会話で終わった。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p81)
当時31歳
その後橋本投手はソフトバンクへ
福岡ソフトバンクホークス時代
単身福岡へ。しかし一軍にあがることなく入団1年目で2度目の戦力外通告。
王貞治監督に「野球を辞めてからのほうが人生は長いんだから頑張って」と激励された。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p105)
当時32歳
もうプロにしがみつく余力は残されていなかったそうです
「なぜ戦力外になったのか
橋本投手は怪我
1995年には右肘遊離軟骨除去手術を行い、登板回数が減少。1998年にはトミー・ジョン手術を受けました。
1993年、1994年の読売巨人軍時代の「勝利の方程式」ともに52試合登板。
当時の長嶋監督が酷使したから?
ご本人は本書では否定されています。ほかにも元々怪我は多く「ガラスの体」などと呼ばれていたそうです。
「どう受け入れていったのか」
受容度20%
「リハビリ生活が長く、まだなにもしていない。このままじゃ、終われない」コンディションを整え、福岡ソフトバンクホークスの入団テストを受け見事合格!
そして福岡ソフトバンクホークスを戦力外通告されたあとは合同トライアウトを受ける。
怪我が原因だとこんなもんじゃないのにって思われるのかもしれません
それは自分を納得させるため。家族に納得してもらうため。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p102)
その結果、不合格、引退へ。
トライアウトは次の人生に向けた再生の場でもあるのかもしれません
!?
またお姉ちゃんラムノのセリフ
取ったな
第四章 石毛 博史 :守るべき家族のために、男が見せた意地
お次は石毛博史氏。1970年生まれ。千葉県銚子市出身の元プロ野球投手。ドラフト外で読売ジャイアンツに入団し、150km/h超の速球を武器に1993年に30セーブで最優秀救援投手を獲得。橋本清とともに「勝利の方程式」を形成した。その後大阪近鉄バファローズ、阪神タイガースでもプレーし2005年引退。引退後は独立リーグや少年野球の指導者、巨人OBスカウトとして活動。
「戦力外通告その瞬間」
読売巨人軍時代
石毛投手の場合トレードという形で来季の戦力でないことを告げられます
当時26歳
その日、今年退団する恩人の宮田ピッチングコーチを囲んでのゴルフコンペに参加中だった石毛氏。ちょうどハーフが終わった段階で球団から呼び出しがかかる。急いでフロントへ。「トレードが決まったから、至急来て欲しい」という内容だった。
じつは石毛氏は前年12月契約更新の際に「来期も頑張ってくれ」と言われたばかり。一方で、ご本人の知らないところでトレード要員となる噂が流れており、気分が悪かった。
「よかったな。いい番号を用意してくれている。先発もやらせてくれるぞ」
トレード承諾の書類が突き出された。そこにサインすることが既に決定事項であるかのような雰囲気に、石毛は違和感を覚えた。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p130)
巨人から石毛投手と吉岡選手で近鉄は石井選手の1対2トレードでした
大阪近鉄バファローズ時代
巨人から近鉄へ移籍した石毛は、小林繁の勧めで先発転向するも制球難とスタミナ不足で苦戦。1997年には5者連続四球で降板するなど不振が続いた。2001年は25試合に登板し優勝に貢献したが、2002年は2試合の登板に終わる。
2002年10月2日、藤井寺球場で秋季練習中マネージャーに呼び出された石毛氏。
「6年間、ご苦労様」
この一言がすべてだった。来年度の戦力に入っていないことを告げられた。部屋に入ってから退出するまで5分も経っていなかった。
「自分の野球人生がこんなにあっけなく終わると思うと、切なかった」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p108)
当時32歳
阪神タイガース時代
「なんや、まだ使えるやないか」闘将・星野監督のこの声に力みが取れた石毛氏。2002年戦力外後、阪神にテスト入団。2003年は中継ぎとして復活し優勝に貢献、日本シリーズにも登板した。所属球団すべてで優勝を経験し「優勝見届け人」と語る。2005年は故障悪化で二度目の戦力外通告。
阪神タイガースから戦力外通告を受けた2005年、依公子に「今度は野手としてテストを受けたら」と、本気とも冗談ともつかないことを言われたが、石毛が家族を集めて現役引退を告げると、みんな泣いて「お疲れ様」と言ってくれた。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p137)
当時35歳
「なぜ戦力外になったのか」
石毛投手は怪我
石毛氏は中学1年の時に右肘を痛めています。この時野球部で上級生のバッティング投手役を務めており、一日平均500球を投げさせられていたそうです。そのため肘はくの字に曲がったまま。
こんな状態でジャイアンツのストッパーをしていたのか!
登板過多。請求の乱れ。9回抑えなのに四球連発。首脳陣の信頼低下。そしてトレードへ。
だからWBCの登板間隔や投球制限があるんだね
「どう受け入れていったのか」
受容度80%
阪神タイガースから戦力外通告を受けたとき、石毛氏は「三振が奪えなくなった時点で自分のピッチングは終わった」と思われたそうです。これを本書では引き際の美学と表現しています。
自分がこうありたいと思うことは生き方そのものですよね
第五章 野村 克則 :今、ここに一生懸命ーー。親子の絆が継承される瞬間
最後は野村克則氏。1973年生まれ。東京都出身の元プロ野球捕手・指導者。父は名将の野村克也。東京ヤクルトスワローズにドラフト3位で入団し、登録名「カツノリ」でプレー。その後阪神タイガース、読売ジャイアンツ、東北楽天ゴールデンイーグルスで捕手として出場し2006年引退。引退後は各球団でバッテリーコーチを務め、指導者として活動。2025年からは阪神タイガースの一軍バッテリーコーチに配置転換。
「戦力外通告その瞬間」
東京ヤクルトスワローズ時代
1995年ドラフト3位でヤクルト入団した野村克則氏(登録名カツノリ)。父・克也の反対を押し切りプロへ挑戦。古田敦也氏の壁もあり出場機会は少なく、主に途中出場で経験を積んだ。
入団時ヤクルトの監督はノムさん
色眼鏡で自分を見る周囲に自ら飛び込んでいった。チームメイトに気さくに話しかけ、マスコミにもできる限り誠意を持って対応する。そうして、自分の考えや意思をはっきりと伝える努力をした。
「カツノリは、ここにいます」と。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p148)
これは組織が欲しがる能力ねアータ
そのかいあって、高津臣吾氏や石井一久氏らはいまでも球友。
しかし…
1999年のシーズンオフ、阪神タイガースへの移籍が正式に決まった。
監督は、父である。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p149)
ノムさんは当時阪神の監督
当時のヤクルトは若松監督
阪神に読んだのは阪神球団
ノムさんではないそうねアータ
当時27歳
阪神タイガース時代
「その、なんというか、『監督の息子』とみんな思っているから、チームに溶け込むまでに人より時間がかかるわけですよ。気軽にチームメイトに『よろしくお願いします!』って言えないんです。それが一番辛かったかな」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p150~151)
2000年に金銭トレードで阪神へ移籍し、父・野村克也監督の下で控え捕手として出場機会を増やす。2001年には代打で2度のサヨナラ打を放つなど勝負強さを見せたが、2002年は11試合出場にとどまり、2003年は二軍で好成績も一軍昇格はなかった。
当時30歳
「クビになるかもしれない」
縁起でもないことを自然と考えてしまう。そんな矢先の出来事だった。
2004年、野村克則、金銭トレードで読売巨人軍に入団。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p150~151)
読売巨人軍時代
2004年開幕前に金銭トレードで巨人へ移籍。本名の野村克則で登録されたが、一軍出場は3試合にとどまり同年オフに戦力外通告を受ける。球団からブルペン捕手やコーチ就任を打診されるも現役続行を選択。
そして克則氏は運命のトライアウトへ!「野球人生の総決算。思いっきりやってやろうじゃないの!」(引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』p163)
結果はなんとトライアウトで2本塁打!
これ番組的にはめちゃくちゃ盛り上がったでしょたぶん!
当時は大阪近鉄バファローズの球団身売り騒動の只中。結局オリックス・ブルーウェーブに吸収合併。その後新球団、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生。このチームはオリックス・ブルーウェーブのプロテクト枠から漏れた選手をはじめ、他球団から得た選手で構成されたチーム。選手層は薄い。
そして野村克則氏、実に4球団目、東北楽天へ!
当時31歳
東北楽天ゴールデンイーグルス時代
トライアウトで2打席連続本塁打を放ち、その活躍が評価され新球団・楽天への入団が決まった野村克則氏。2005年に楽天で登録名をカツノリに戻すも出場は6試合。そんな中…
当時の田尾監督から
ノムさんが時期楽天監督へ!
本当のことを言えば、「またか」と思った。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p170)
2006年は2番手捕手として先発機会を得るが肩痛などで苦しみ、同年9月に…
「来年は、コーチとしてチームを支えてくれないか?」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p172)
コーチ打診という戦力外通告を受け現役引退。10月1日のロッテ戦で引退試合が行われた。
当時33歳
「なぜ戦力外になったのか」
克則捕手も怪我
ヤクルト時代は古田敦也氏が正捕手だったため出場機会が少なかったのですが、野村克則氏にとっての試練は、2003年のオフ。
右肩がダメになっていた
最終的にこの怪我と付き合いながらプレーを続けることになり、トレードされ、トライアウトを受け…戦力外通告へ。
「どう受け入れていったのか」
受容度10%
偉大な父と常に比較され続けた克則氏。金銭トレードで球団を渡り歩くも、実は読売巨人軍時代と東北楽天ゴールデンイーグルス時代に「コーチとして残ってくれないか」と打診があったそうです。
現役にこだわりがあった克則氏は、良き相談相手の広沢克己氏(元プロ野球選手)にコーチを受諾するか否か話を聞いてもらいます。
巨人のコーチ要請のとき
「お前は登りかけた山を途中で降りるのか?自分がやれると思うのなら、望みを捨てずに最後までやり遂げてみろよ。ダメでもいいじゃないか。ボロボロになりながらでもしがみついてみたらどうだ」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p159)
楽天のコーチ要請のとき
「背中を押してもらいたいんだろ?やりたいんだったららればいいじゃないか」
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(p175)
最終的には楽天で現役を退くことになった克則氏ですが、これら広沢氏のことばで幾度となく救われてこられたようです。
コーチの要請があるのは納得だわ 魅力的だもの克則さんアータ
話をきいてもらうことのありがたさ。そしてそれが自分の気持ちの整理に繋がっていく。
この時の経験がいまの克則氏にとって生きているのだと思います
Present for you💐 ~揺さぶるフレーズ
それでも男たちは、困難を乗り越え、前に進む。
引用:『戦力外通告 プロ野球を「クビ」になった男たち』(表紙帯裏)
これに尽きますね
これには男も女もないよ
選手を支えているご家族も一緒に戦う。
人生はひとりじゃない。
Thank you! ~55秒解決!
今回の【55秒解決!】
「自分が必要とされているところで踏ん張る。それも生き方だと学んだ」
人生に戦力外通告はない!
Let’s try it! ~いまからできること
①自分ができることをやる。
②スポーツ選手でいう怪我はサラリーマンにとってミス。何度も見直して仕事の精度をあげる。
③話を聞くだけで相手を救うことができる。
広沢さんすてきですね






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